憧憬と執念と欲望と01

!TDD時代

 一郎にとって、左馬刻は憧れであり、目標であった。一言で言えばヒーローという言葉がぴったりだ。子供にとっての永遠のヒーロー。
 乱数は時々一郎に、ご飯を食べに行こうと誘ってくれるのだ。一郎が弟たちを思って遠慮していれば、乱数は一郎にお土産を持たせてくれた。僕が行きたいのに付き合ってくれたから、と笑って食事代をも出してくれるので、一郎は甘えていた。学校を出て仕事をしたらきちんと返そうと決めている。

「一郎ってさ、サマトキのこと、好きだよね?」
「え?」

 乱数が舐めている飴玉そっくりの色をした目が一郎を見る。アルコールを飲み過ぎた所為か、何処か舌足らずだ。酒で蕩けた目は何もかもを見透かすような気がして、一郎は何処かぎくりとした。

「そりゃあ……尊敬、してるから」

 舌は辿々しく音を紡ぐ。尊敬、そう、尊敬しているのだ、と一郎は言い聞かせるようにする。
 乱数がグラスに口を付ける。色鮮やかなブドウ色のカクテルはするすると飲み込まれる。ぷはーっと盛大に息を吐いた。

「やっぱり、一郎の好みってああいうちょっと気が強い感じ?」

 乱数の言葉に一郎は慌てて首を横に振った。誰かに聞かれては不味い。焦りの所為でどくん、どくんと心臓が早鐘を打つ。

「左馬刻さんはそういうんじゃ、」
「え~? でも、サマトキだってオンナノコだよ?」

 知らなかった? と乱数がわざとらしく首を傾げる。左馬刻が女であることなんて、ずっと前、初めて会ったときから知っているつもりだった。けれど、そう反論するには何故だか憚れる。良くないことのような、気がした。

「一郎も知ってるでしょ? サマトキって、小さくってぇ、細くってぇ……ふふ、柔らかいんだぁ」

 知ってる、と喉まで出かけた言葉を必死になって抑え込む。何で乱数が知ってるんだという言葉も、掴みかかろうとする腕も。氷が溶け切ったグラスを掴み、温い水を二口程飲む。
 少し冷静になれば、どうして乱数が左馬刻のことについて言えるのか解った、と言うより思い出した。乱数は誰かに会う度にその相手を抱き締めているのだ。左馬刻だけではない、一郎にも抱き着くし、大抵避けられているが寂雷にも抱き着こうとする。
 自分よりも小さい背丈、安易に折れそうな程の細い肩、マシュマロみたいに柔らかそうな胸、ひしゃげたアルミ缶みたいに括れた胴回り、タイトスカートから伸びるすらりとした脚。普段から見ていた、目が追っていた。乱数のようには触れなくて、良いなと何度も思っていた。
――でも、左馬刻さんはそんなのじゃない、欲をぶつける対象じゃない
――そういったのは思い込みであって、本当は左馬刻のことがそういった意味で興味があって好きなんでしょ
 そんな答えが乱数との話をきっかけとして、一郎の目の前に躍り出た。

「俺は、おれ、は……」

 今まで築き上げてた脆い壁が一気に壊された。隠していた、隠しきれなかった感情が日の元に晒される。焦燥感が一郎を急き立てる。しかしながら隠し方も、知らなかった振りの仕方も解らない。
 一郎は顔を俯かせた。水の入ったグラスに影が入る。料理をさらえた皿は冷え切り、ソースに脂が浮いて独特な模様を描いている。
 乱数は気付いていないのか、次は何を飲もうかな、とメニューを眺めて楽しそうだ。途中で携帯を出して、オネーサンと遊びたくなっちゃったと笑いながら何処かに電話をし始めた。
 店を出て、乱数は一郎に弟たちへのお土産を持たせてくれた。これからオネーサンの所に行くんだと、乱数は頬を赤くして笑う。その足取りはふらふらと覚束なく、見ていて不安になる。

「大丈夫なのか?」
「平気、平気! オネーサンの家はこの辺だから」

 きゃらきゃらと高い笑い声が響く。そうかよ、と言って一郎は踵を返す。その方向は駅ではない。

「帰らないの?」

 背後から乱数の声が飛んできた。一郎は首だけをそちらに向ける。

「忘れ物したから取りに戻るだけだ」

 何となく家に帰りたくなくて、けれど、誰かと話したかった。仲間である医者がいますようにと願いながらTDDの溜まり場へと行く。そこには仮眠用の部屋もある。そこでうたた寝していますように、と祈りに近い感情を持つ。
 階段を上る。かん、かん、と金属の階段は足音を響かせる。ドアノブを捻って扉を開こうとするが、がちりと何かが阻んでいる音がした。ドアに鍵がかかっている。そりゃそうかと一郎は溜息吐く。帰ろうかと思ったら、扉が開いた。扉の隙間から一番会いたくなかった、左馬刻が見えた。
 タンクトップにショートパンツというかなりラフな格好だ。多分、溜まり場に置いてあった物を適当に引っ張って来たのだろう。溜まり場には乱数の不要になったサンプルがよく置いてある。さっきまで寝ていたのか、欠伸を零した。
 タンクトップの衿ぐりから見える白い柔らかそうな胸元に一郎は思わず顔を背けさせる。乱数の所為だと此処には居ない人間を恨んだ。

「おい、」

 入るなら入れや、と不機嫌そうに言われて一郎は部屋の中に入る。ソファの上に毛布がくしゃくしゃに丸められていた。左馬刻は毛布を隅に寄せてから座った。空いたスペースを掌で叩いて、一郎に座るように促す。一郎は左馬刻から少し、拳一つ二つ程度の隙間を開けて座った。
 左馬刻は大きな欠伸を一つ零す。退けていた毛布を取って肩まで被った。

「一郎、お前何しに来たんだよ」

 家に帰れよ、と左馬刻が言う。一郎は何も言わない。頭骨の内側でわんと乱数の声が響く。
 女の子、そう、女の子なのだ。左馬刻は一郎のことを信頼しきってるのか、それとも、腕っぷしやら何やらでも勝つと思っているのか、警戒心を抱いている様子はない。それが良いことなのか、悪いことなのか、一郎には解らない。
 一郎が瞬きをした途端、睫毛から涙が転がり落ちた。赤い目が一瞬、ほんの少しだけ見開かれた。ぽろ、ぽろ、と止めどなく涙は落ちていく。

「何で泣くんだよ」

 面倒臭そうに、泣くなやと左馬刻が言う。それでも一郎の目から涙は止まらない。左馬刻が両手を伸ばす。はらりと毛布が落ちた。白い手は一郎の少し硬い、夜色の髪をくしゃくしゃと撫でる。
 ぶっきらぼうな癖して、その手付きは何処か優しい。仕方ねぇな、とふ、と左馬刻が口許を僅かに緩めさせる。
 もしも姉がいたら、母がいたら、こんなことをしてくれたのだろうか。左馬刻も、年の離れた妹にもしていたのだろうか、それとも、見知らぬ、或いはよく知っている男にもしていたのだろうか。
 様々なことが一郎の脳味噌で浮かんではあぶくとなって消えていく。臆病故に何も聞けない。この関係を壊したくないと、はっきりとした解が出る。
 一郎は、ただただ余計に泣きたくなった。

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