憧憬と執念と欲望と04


「……で?」

 数十秒後に銃兎の口から出た言葉はそれだった。少し小洒落た喫茶店の机の上に可愛らしい子供の絵が載った母子健康手帳がある。幻ではない。左馬刻から送られたメールの文面は嘘ではない。続きを促す単音を殆ど反射で口から出たものの、何について話を聞きたいのかも漠然とし過ぎて己に溜息を吐いた。
 銃兎は気持ちを落ち着かせる為に慣れた手で内ポケットに入っている、煙草が入ったケースに触れた。だが、一寸考えてから、鋭い舌打ちを打つ。行き場の無い手は七三に分けられた黒い髪を掻いた。
 銃兎は、数ヶ月ほど前から左馬刻の様子がおかしいのを知っていた。まさか、その結果がこれかと何とも言えない気持ちになった。苛立ちばかりが募るが、それを上手に逃がす方法が思いつかない。恐らく招集されたであろう、理鶯が未だ来ていないので、余計に苛々する。
 銃兎は左馬刻の腹を見た。相変わらず細くて薄いその中に、生命がいるとはにわかに信じがたい。堕ろせば良いだろ、とは簡単に言えないでいた。そんな自分に、思ったよりも左馬刻のことを大事にしていたのかと少し驚く。

「組、どうすんだ」
「そのうちバレるんだ。正直に言うしかねぇだろ」

 舎弟は、と聞けば左馬刻は首を横に振る。余りにも現実味がない。銃兎はこっそりとテーブルの下で自身の手首に爪を立てる。当然というべきか、痛みが走った。

「すまない、少し道に迷ってな」

 二人が顔を上げると理鶯が立っていた。銃兎が奥へと移動すると、理鶯は銃兎の隣に座る。丁度やってきた店員にコーヒーを注文した。

「左馬刻、顔色が悪いが寝ているのか?」
「ん、まあ」

 左馬刻の白い手が自身の髪に触れる。目の下には、麻天狼のサラリーマン程までは行かない程度の隈がある。肩を押せばその儘倒れて仕舞いそうな程の印象を与えた。それでも目だけは強い意志があった。
 理鶯は机上にある母子健康手帳を指で示し、見ても良いかと尋ねる。左馬刻は小さく頷くだけだ。理鶯は手帳を手に取り、開く。銃兎も中身が気になるので手帳を覗き込んだ。一度検査をしたのか、母体の記録が書いてある。新宿中央病院の判が押されている。父親の欄は空欄だった。理鶯は一度、銃兎に渡そうとしたが、銃兎は断った。
 少しして、店員が温かいコーヒーを運んできた。理鶯はそれに口に含ませ飲み込む。ほんの少し前までは各々好きなことをしていたり、大したことのない話をしていたりしたのに、今や何も音が無い。今までどうしていたのだろうかと、銃兎は粘っこい空気を吸って吐いた。冷え切ったコーヒーを口に運び、飲み下す。吐きそうな程不味かった。

「左馬刻」

 粘っこい空気を切ったのは、理鶯だった。理鶯は真っ直ぐと左馬刻の目を見る。アイスブルーの目は、色こそ冷たいが温かさを湛えさせていた。

「左馬刻は、腹の子をどうしたい?」

 どうしたい、と聞かれた左馬刻は瞬きをして、少し首を傾げさせた。

「堕ろすのか、産んで育てるのか」

 ゆっくりと、言い聞かせるような口調で理鶯が言う。僅かに左馬刻の赤い目が開かれる。長い睫毛を伏せさせた。柔らかそうな唇が一文字を結び、少しして解かれる。

「産んで育てたい、に、なるんだと思う」

 そう言った直後に左馬刻はまた首を傾げて、いや、解らん、とらしくもなく言葉を濁す。けれど理鶯はそんな言葉でも納得いったのか、そうか、と何処か嬉しそうに呟いた。

「手伝えれることがあれば、小官は手伝おう」
「理鶯、じゃあ、ちょっと俺と籍をいれてくれねぇか?」

 銃兎は自身の耳を疑った。左馬刻が、今、籍を入れろと言ったように聞こえた。銃兎が理鶯を見れば、豆鉄砲でも喰らった鳩のように目を見開いている。ぱちぱちと理鶯が瞬きを繰り返す。

「……左馬刻、どうしてそんなことを?」

 理鶯が静かな声で尋ねる。左馬刻は何か考えている最中なのか、口をゆっくりと開いた。血のように赤い眼がゆらりと揺れる。

「俺は……多分、仕返しをしたいんだ」

 しかえし、と理鶯の唇が動く。

「幸せになった所を見せつけるんじゃねぇ、誰の手にも届かなくなった所を見せつけてやるんだ」

 アイツに、と左馬刻が自暴自棄な笑みを浮かべさせる。強がった子供の、無敵の笑みだ。まるで、その仕返しを終えればあとはどうとでもなれと言わんばかりの雰囲気だ。

「おい、そのあと、左馬刻のいうアイツに見せつけた後、左馬刻は、理鶯は、子供はどうするんだ」

 銃兎が鋭く良い放つ。左馬刻は鼻で笑った。

「知らねぇよ。それ以降なんて……何も、考えてない」

 左馬刻の表情が消えていく。最後辺りは絞り出すような、悲痛な声だった。左馬刻は俯く。髪の所為で表情が良く見えない。

「なんかもう……疲れたんだ。腹のこいつを産んでも捨てても流しても、全部アイツの思い通りになってる気がして。でもそれも癪だろ? アイツの思い通りになんて、なりたくないだろ」

 やや早口に捲し立てる。左馬刻が自身を抱き締めるように腕を組んだ。何やら呟いたが、二人の鼓膜を震わす前に空気に融けて消えた。

「寂雷先生に診てもらって、腹にガキがいるって聞いて……それから考えて、今日、相談したら、あの人はただゆっくり休みなさいって……アイツには黙っておくから、って……」

 左馬刻は支離滅裂な言葉を紡ぎ続ける。理鶯も銃兎も黙って聞くだけだ。滅多に見ない、弱々しい姿に何も言えなかっただけなのかもしれない。
 やがて、何で、と空っぽの声で左馬刻が呟く。それっきり何も言わなくなった。
 前触れもなく、勢いよく顔が上がる。バツが悪そうに顔を僅かに歪ませた。

「悪い、戯言だと思ってくれ」

 左馬刻は口早に言って鞄を持つ。机の上に千円札を二枚置いて席を立った。からん、と店の扉の鐘が鳴る。ありがとうございましたーと、店員の間延びした声が聞こえた。

「理鶯、見てやってくれるか」
「無論だ」

 理鶯も机の上に千円冊を数枚置いて、店の外へ出た。多分、左馬刻に関してはあれで大丈夫だろう。後は、自分を冷静にさせるだけだ。銃兎は混乱していた。
 何なんだ、急に見なくなったと思ったら急に連絡してきて、妊娠したと告げるなんて。腹の子どもの父親と、左馬刻の言うアイツは同一で、恐らくあの男だろう。以前ラップバトルをした、黒髪の男を思い出す。あの時の景色が鮮やかに思い描かれる。あの、赤い目と緑の目は何を想って左馬刻を見ていたのだろうか。左馬刻は憎悪と嫌悪を以てあの男を睨み付けていたのだろうか。
 銃兎は自身のこめかみを揉むように解す。頭痛はちっとも楽にならない。
 復讐ではなく、仕返し。しかも、他人を大いに巻き込んだ仕返しだ。恐らく理鶯は左馬刻の話に乗るだろう。恩義を感じれば最後まで尽くす男のことだ。そして子供を育てて、仕返しとやらをやるのだろう。正直に言って、勝手にやってて欲しい、巻き込まないで欲しい。そう思うが、放っておけない自身もいる。

「……ガキの喧嘩かよ」

 銃兎が呆れきったように忌々しく呟く。棟ポケットから煙草を出して、火を点ける。紫煙を吸い込んで、盛大に吐いた。

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