ミニチュア・ガーデン03

 十四が食事を摂れなくなり、数日が経った。ゼリー飲料を啜るだけの生活だ。空却は十四に、獄に連絡しろよと言ったがその度に十四の眼から涙が落ちていく。首を横に何度も振る。いやだとはっきりと声を上げた。声を上げて、幼子のようにべそべそと泣く。

「あのなぁ、何だったら食えんだよ」

 空却は苛立ちまぎれに布団で出来た団子を軽く蹴飛ばす。団子がもぞもぞと動き、十四は顔を出した。水を飲んでいようが風呂に入っていようがもうずっと泣き暮らしている。枕は涙で湿っている。携帯電話はもしも望まない連絡が入っていたらと思うと恐ろしくて触っていない。代わりにと言わんばかりにアマンダと一緒にいる。アマンダを構成する綿はいつからか湿り気を帯びさせていた。
 十四は瞬きを落とした。ひ、ひ、と横隔膜が痙攣するせいで上手く呼吸が出来ない。唇が強張って上手く言葉が紡げない。

「ひ、っとや、さんと、……なら、」
「おっし、解った。ちゃんと獄とは話せよ」

 食べられるかもしれないと十四が言う前に空却は携帯を触って獄に連絡を入れる。数コールした後に空却は舌打ちをして切った。あのクソ弁護士と悪態を吐きながら携帯を放る。十四の眼からぼろぼろと涙が落ちる。アマンダの、ボタンで出来た目に涙が落ちる。やっぱり、あの人が良いんだ! としゃくり上げながら吐き捨てる。

「ぴーぴーうるせぇな! アイツは割とまめに連絡返すだろうが!」

 空却に軽く蹴られて十四はさらに涙を流す。アマンダも泣いていた。
 獄から返事が来たのは夜だった。空却が電話で次の土曜日の昼に会う約束を取り付ける。何かぎゃあぎゃあといつもの言葉の応酬をしていたが、十四はそれをじいっと見るだけだ。どうやら昼前に会うことになったらしい。空却に携帯電話を押し付けられた。電話口から、十四か、と僅かに柔らかくなった声がする。十四は咄嗟に終話のアイコンを押して黙らせた。何も話せなかった。話したい話題はあったが、喉で渋滞を起こしてしまっている。空却は何も言わない。不服そうな顔をしていたものの、ただ、良かったなァと柔らかく声をかけてくれた。四つの目が薄暗い部屋で浮かんでいる。十四の濡れた頬が携帯の光を反射させてぼんやりと輝いている。良かったじゃねぇかと空却は楽しそうに言った。
 土曜日の夕方に獄はようやく来た。十時前に、遅くなるから先に飯を食って時間を潰してくれと連絡があったのだ。冷たい風が二人を追い越す。空却に入ろうぜと言われたので大人しくそれに従う。十四と空却はファミレスのドリンクバーとたまに頼むちょっとした料理で過ごしていた。携帯を見ても獄からの連絡はない。空が橙色になると空却が少し出るわと出て行ってしまった。少しして、遅くなって悪い、と獄が来た。獄から女性ものの香水の匂いがした。あの時の匂いと同じだ。それは十四の心の柔らかな所をかりかりと引っ掻く。十四は言葉も出せずにじっと獄を見る。

「空却は?」
「わ、かんないっす、ちょっと出るって言われて……」

 携帯に連絡を入れたが返事は来ない。そんなに離れた場所にはいないと思うが、視認できる範囲にはいない。獄が自分の目元を指で示す。心配そうな顔をしてくれている。

「何かあったのか?」

 泣かされました、貴方に、と詰れば楽になれるのだろうか。十四は口角を上げて笑顔を見せる。バンド仲間からおすすめの映画を教えてもらったんすよ、と努めて弾んだ声を出した。ふぅん、と獄はそれ以上何も聞かない。メニューを取り出して、何か食べるだろと十四に差し出す。十四は少し悩んで、ナポリタンを頼んだ。獄は、直ぐに出ないといけないからとコーヒーを注文する。十四はゆっくりと瞬きをした。また、あの人の所に行くのだろうか。体内にある鉛からごぽりと空気が吐き出される。十四は慌てて口を覆って席を立った。獄が何かを言っていたが返事することなくトイレに駆け込んだ。口から真っ黒い、粘り気のある液体が溢れ出ると思ったのだ。個室に飛び込み、白い陶器の便器に向かって何度か嘔吐く。結局吐き出されたのは粘度の高い唾液だけだった。
 席に戻ると獄が本当に大丈夫かと心配そうに声をかける。十四は大丈夫っすと答えた。大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。何が大丈夫なのか解らない。口から零れた白い泡を袖で拭う。大丈夫って何だっけと誰かの声がした。
 少しして店員が白い皿に乗っけられたナポリタンとコーヒーを運んできた。食えるか、と獄が心配して尋ねる。十四は口角を上げた。笑顔は随分上手になったと自分自身で思う。フォークを取り出し、十四はナポリタンを見た。大好きなはずのそれは目に痛い色をしていた。酸い匂いが鼻を叩く。緑の花と赤い色がいつか見た化け物を思い起こさせる。フォークでいくつか巻いて口に含む。何度か咀嚼する。輪ゴムでも噛んでいるような気がする。十四は無理に飲み下した。塊がずるりと食道から降りて胃袋へと落ちる。鉛と混ざり合ったそれは胃液に溶けることなく胃で存在を主張する。

「食えんかったら食わんで良いぞ」

 獄が言う。十四は笑ってフォークを置いた。ああ、今の笑顔は失敗した。引き攣ったような間抜けな笑顔のまま十四は僅かに。掌で皿を遠退けさせた。食おうか、と獄が言ったので十四は頷く。獄はフォークを新しくとって、ぱくぱくと食べていく。獄の胃袋の中には、あの女性が作った料理が納まっているのだろうか。十四の脳裏に考えたくもない可能性が躍り出る。十四の胃袋の中にある鉛が笑い声をあげた。十四は水を口に含んでゆっくりと飲む。冷たい水を浴びさせたのに、鉛はまだ笑っている。吐き出してしまいたいのに吐き出せない。嘔吐くことも出来ずに十四は自身の指を絡め、握りしめる。いつか映画で見たお祈りを思い出した。

「獄さんは、いつか結婚とかするんすか」

 世界中から音が消える。突然の質問に獄が瞬きをした。首を僅かにひねって、怪訝そうな顔をする。だって、恋人、と十四が次いで言うと獄は自身の顎を擦る。

「恋人、なぁ……まあ、いつかは結婚もするかもしれないな」

 十四は目を開いた。ぎこちなく世界が揺れる未来のことなんて誰も想像が出来ないだろ、と獄が言う。ナポリタンは綺麗に平らげられた。獄はナプキンで口許を拭う。唇を汚していたオレンジ色が無くなった。

「そ、う……っすね」

 聞くんじゃなかった。後悔が足元から押し寄せる。鉛がどろりと融け、胃袋から腹へと移動する。心臓の中心部から溢れた涙は十四自身を呑み込んだ。から、から、からと融けた鉛が笑っている。笑い声が雄叫びのようなものに変わっていく。それは黒く粘っこいものとなり、良く解らない生き物のような形を取る。それは魚のようにも見えた。四本足の獰猛な怪物にも見えた。形を有耶無耶に変えて行き、良く解らないものとなる。にたりとそれが静かに笑う。口を開ける。泣き声を上げる。閉口しする。また、笑う。

「悪い、もう出ないと」

 空却とまた旨い物でも食ってくれと、一万円札三枚がテーブルに置かれる。また埋め合わせはするから、と獄は、声をかける間もなくさっさと出て行ってしまった。携帯で誰かに電話をしながら、誰かを探しながら歩いている。
 欲しいのは、それじゃない。ぼろりと押し込んでいた涙が溢れる。透明のそれはぽたぽたと落ちていく。十四は顔を覆った。押し殺した声が喉でひぐりとした音に代わり、横隔膜を震わせる。

「なんだ、帰っちまったか」

 聞き慣れた声がした。十四は顔を上げる。霞んだ視界の中で鮮やかな赤が咲く。ふいと顔をそらして窓の外を見る。視線はすぐに定まった。

「んで? 話は終わったのか?」

 空却は十四を見た。真っ赤にさせた眼の中心部で青色の炎がとろとろと揺らめいている。視線の先を見ると、獄と女性が寄り添って歩いているのが見えた。なるほど、あれかと空却が何処か納得したように言う。
 ひどい、と魚が楽しそうに唸った。ひどい、と獣が恨めしそうに笑った。ひどい、と十四が静かに叫んだ。ぽたぽたと涙は零れて机上に小さな水溜まりを形成していく。空却は十四の隣に座る。向かいの席は誰もいない。

「じゃあ、教えてやんねぇとなぁ?」

 十四の肩に腕が回る。獄と比べると小さな、けれど熱い掌だ。
 う、うー、と呻き声が聞こえる。ああ、自分の声だと何処か他人事のように思えた。濡れた世界の中で獄は知らない女性の手を取り、何処かへと歩いていく。十四は目をつぶった。途方も無いほどの暗闇に覆われる。

「ヒトのは、とっちゃだめって」

 なァ? と暗闇で空却が同意を求めるような声がした。

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