箱庭いっぱいの花葬

 天気の良い、昼過ぎだった、と獄は薄らぼんやりと記憶している。

「結婚、するんだ」

 穏やかなクラシックや人々の話し声がぶつりと途絶えた。は、と獄の口から間の抜けた声が落ちる。口腔内がざらりとする。眼前にいる友達は、親友は、腐れ縁は、女は、いつものように何処か憂いのある顔をしている。その顔が獄は学生の頃からずっと嫌いだった。透き通った湖畔のような目も、決して荒げることのない声も、滑らかな髪の毛も、何もかもが。
 そうか、と声帯は控え目に、ぎこちなく震えた。ひしゃげたカエルの声に似ていたかもしれない。情けなくて、笑うこともできない。普段であればもっと上手く声を張ることだって安易だった筈だ。
 獄は手に持っていたカップをソーサーに置いた。カチャンと硬いもの同士がぶつかって不満そうな声を上げる。僅かに指先が震えている。動揺、している。それを認めたくなくて、獄は手を膝の上に置いて緩く握る。

「獄には最初に言いたかったんだ」

 桜色の唇が嬉しそうに小さく孤を描かせる。僅かに紅潮した頬は幸福さを称えていた。瞳に星が煌めいている。客観的に見ても、ほんの僅かな獄の思考が入り込もうとも、寂雷は幸福そうだ。苛立ちと僅かな不愉快さが獄の心臓に数センチほど爪を立てる。くそったれと舌打ちを打ちたかった。社会人としての大人が子供じみた衝動をを押さえつける。
 おめでとう、と言わなければと思った。幸せになれよと声を掛けなければと思った。誰と、と話題を出して掘り下げねばと思った。所詮は思うだけだ。脳味噌は厳しい口調で命令しているのに、声帯は震えることをしない。それは詰まらない意地からなのか、単に呆けているだけなのか、それ以外の何かなのか、判断が下せない。
 寂雷が瞬きをする。目を伏せ、少しだけ悲しそうな顔をした。いや、コイツは元々そういう顔付きだ。獄は大声で反論する。

「ごめん、獄」

 静かな声は獄の鼓膜を大きく揺さぶった。記憶の浅い所にいた約束が頼んでもないのに眼前に躍り出る。あんなものは戯言だ。あんなものは本気にしたことなんて一度もない。あんなものは、あんなものは、あんなものは……。学生の頃の獄がけたたましい叫び声を上げる。頭を掻き毟り、意味の解らない言葉と思い付く限りの罵詈雑言を吐き捨てる。大人の獄は目を瞑った。嵐が過ぎるまでじっと待てば良い事を知っている。ぬるくなった水で、口腔内を濡らす。

「……謝るなよ、あれはただの口約束だ」

 拘束力なんてないと吐き出された言葉たちは慌ててその場を走り去る。そう、ただの口約束だ。お互いが四十歳を越えても独り身だったら一緒にならないか、などというくだらない口約束だ。
 胸が圧し潰れたような感覚に、ふう、と息が吐き出された。寂雷の僅かに強張っていた顔が柔らかさを取り戻す。安堵感から吐き出された息とでも、思ったのだろう。普段、例えば獄が普段一緒にいるチームメンバーであれば訂正をするのだが、今回に限ってはそちらの方が却って良い。穏便に終われば良い。触れられない所を必死に隠したかった。世界の理を、正しいことを知っている目で見られたくなかった。小さなプライドだ。

「結婚式、来てね」

 行くかよ、と言葉が飛んでいきそうになるのを、ぐっと理性で抑え込む。

「私のドレス姿、見て欲しくて」

 獄は何も言わない。傷付ける為に飛んでいきそうな言葉を抑えるので必死だった。酷い友達だと思う。酷い男だと思う。それも約束のうちだったろと、中学生の自分が吠えていた。

「……きっと、幸せになるね」

 獄以外の人の手によって、と暗に言われた、気がした。酷い被害妄想だ。良い奴だから、人並みに、あるいはそれ以上に幸せになってほしいと願っていた筈の学生の自分が、何か吠えていた。およそ人間の言葉ではない。
 獄が視線を挙げれば、寂雷は何処か淋しそうな笑みを浮かべていた。そんな淋しそうな顔をするなら、結婚なんかしなければ良いのに。いつの間にか雑音たちは戻って来ていた。
 何事もなかったのように、寂雷は別の話を出す。獄は何処か動かない脳味噌で話を聞いていた。事を重く捉えているのは自分だけだと気付いて、泣きたいような気持ちになる。喪失感と寂しさに酷似した何かが獄の喉をゆるりと締め付ける。息苦しさに、息を小さく吐く。学生の頃の獄は未だ悲痛そうな顔をして、被害者みたいな顔をして、凶悪そうなおぞましい顔をして、理不尽だ、嘘つきだと叫んで暴れていた。
 気が付けば獄は自宅のソファで寝転んでいた。首を動かして窓を見る。何か他愛のないことを話して、明日仕事だからと新幹線に乗る寂雷を見送ったのを覚えている。すっかり外は暗くなっている。バイクが通り過ぎる音が僅かに聞こえる。
 テーブルにおざなりに置かれた招待状が獄を嘲笑っている。獄は衝動的にそれを掴んだ。真ん中から破ってやると発作的に考えが浮かんだ。紙が極短い悲鳴を上げた。ひとや、と学生の頃の寂雷の穏やかに笑った顔が浮かぶ。

「あ、」

 僅かな隙を突いて、手から招待状が逃げた。
 学生の頃に、四十超えても独り身だったら夫婦になろうと、些細な口約束が再度浮かぶ。今よりずっと未熟だった自分が、恋心によく似て異なる化け物が、過去の思い出の顔した地獄が、後ろから獄を思い思いに追いかけてくる。口約束はごぷごぷと苦しそうに息を吸って吐いてを繰り返しながら藻掻く。あっという間に見えなくなった。どこにもぶつけられない感情たちは獄の喉を柔らかく締め上げる。
 獄は招待状を見た。くっきりとした皺の寄ったそれは数センチほど破れている。そこを親指でゆったりと撫でる。毛羽立った繊維が親指の腹を擽った。そんな事をするつもりは無かった、と馬鹿みたいな弁明する気はない。獄は、招待状を破ろうとした衝動があったことを認めている。
 獄は、力なく項垂れるしかできなかった。

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