箱庭いっぱいの花葬


 空却は一人で獄の部屋の前に来ていた。インターホンを何度か鳴らすとげっそりとした顔の獄が扉を開ける。獄は眩しそうに顔を顰めさせる。いつも整えられている髪型は全くセットされておらず、グレーのスウェットという先程まで寝ていたであろう格好だ。獄はいつも身なりを整えている。社会人として、弁護士として、立場のある人間として、相応しく、武装をしている。空却は、獄がそういった飾らない、武装をしていない姿を見せてくれることに優越感を感じてしまう。もしもインターホンを押したのが十四であったなら、そのままの格好で家に招き入れたのだろうか。

「鍵は?」

 酒で焼けた声が小さく響く。獄は何度か咳払いした。喉に痰でも絡んでいるのだろう。その咳の音が少し前に会った年配の檀家の咳に似ていて、ほんの少しだけ、怖さのようなものを覚える。そう簡単にくたばりはしないと思っているが、それでも時折ぎくりとしてしまう。

「今持ってねェんだわ」
「……おい、まさか失くしてないよな?」

 失くすか、と空却は吐き捨てる。喉から手が出る程欲しくて、いつもの悪戯と称して取ったものだ。そんなものを易々と失くして堪るか。
 獄は不機嫌さをあらわにした顔で空却を睨みつけている。早く返せ、と苛立ちと気だるさが入り混じった声がした。
 結局悪戯の延長線のように目の前で取った鍵については、返せと度々言われるだけだ。子供だから、仲間だから、“家族”だから、大した問題にしていないのか、無理に鍵を取り返したときの労力等を比べた結果なのだろうか。様々な推測が過り泡となり消える。空却は、はは、と馬鹿にするように嗤いながら獄の部屋の中へ入る。

「いつまで寝てんだよ。もうじきお天道様が天辺昇るだろうが」
「うるさ、」

 獄が急に口許に手を当て、トイレに駆け込んだ。

「げェッ! っは、――ォ"えっ」

 びしゃびしゃと勢いよく水が落ちる音がする。獄は便器に顔を突っ込んで嘔吐している。昨日から今日にかけて胃袋に収めた物が全てほぼ液状となって吐き出されている。何を食ったんだろうな、と空却は胃液の匂いを放つそれを見ながらどうでも良い事を思った。
 昨夜の酔い方を思い出す。舌の動きこそ拙かったが、思ったよりもずっと平静だったと思う。楽しい酒ではなかっただろうに、馬鹿みたいに飲んだのだろう。

「たっく、あんなになるまで飲むからだ」

 広い背中を擦ってやれば、びくびくと震えながら再び吐くことを再開させる。こういうのは落ち着くまで吐かせれば良い事を空却は知っている。肩で呼吸を繰り返す獄は苦しそうで可哀想だ。何度か嘔吐くも何も吐き出されない。吐き終えたのか、それとも吐くのが下手なのか判別がつかない。
 手伝ってやろうと思い、空却は獄の背後に立つ。親切心とほんの少しの支配欲だ。顎を左手で固定させる。

「な、なに、」

 不安そうな目が空却を見る。空却はにたりと歯を見せて笑った。

「獄ァ、ちぃっと我慢しろよ」

 囁く声は比較的柔らかに、空却の右の指は静かに獄の口腔内に入り込む。獄が顔を背けようとしたが、空却の左手に阻まれた。噛むなよ、と低い声で言って、空却の右手は獄の喉奥に触れた。

「やっ、ァ"――ぉえ"、ッげ、ェ"!」

 温かい液体が指に当たる。もっと出るだろと喉奥の柔らかい所を何度か圧せば獄は何度も苦しそうに声を上げながら胃の中のものを吐く。指を口から出すと粘度の低い胃液と粘度の高い唾液でべたべたになっていた。汚れていない手で獄の背中を擦ってやる。
 暫くすると落ち着いたのか、獄は吐くことをやめた。便器の水は色を乗せて泡立っている。

「信じられん、マジで何考えてんだ……」

 げっそりとした声が聞こえた。視線をやると獄が口許を袖で乱暴に拭っているところだった。怒る気力もないのか、ただただ怒りを含ませた目線を空却にやっている。空却はその目を見つめながら、獄の吐いたもので濡れた指を己の口に含ませた。獄が目を見開き絶句する。舌に苦味と酸味が広がる。すん、と息を吸えば酸っぱい匂いが鼻腔を刺激した。

「はは、にげぇ」

 けたけたと笑う声が薄暗い空間で響く。獄は苦笑いを零すこともしない。
 空却はしゃがみ込み、獄の顔を覗き込むようにする。

「失恋したんだってなァ?」

 獄の肩が僅かに跳ねる。解りやすい程に眉が顰められる。触れてはいけない話題だったようだが、空却にとって知った事ではない。そんな気を遣って話してやる間柄でもない。何よりも空却自身が気にくわないのだ。天国獄という人間の特別が自分以外の人間である事にも、その押し込んでいた感情が目のつくところにまで浮上していた事にも。

「……寂雷のことか?」

 静かな声だった。空却は返事をしない。ただ黙って獄を見るだけだ。獄が鬱陶しそうな顔をして、舌打ちをした。あからさまに溜息を吐いた。

「生憎というべきか、俺は寂雷に対して恋愛感情なんか抱いてない」
「それにしてはすげぇショックを受けていたように見えたがなァ?」
「寂雷と結婚したがる男がいるなんて思ってなかった。それで驚いてた。それだけだ」

 ふうん、と空却の口から音が落ちる。金の眼は探るように獄を見る。獄の色素の薄い目は睨み返している。きっと仕事のときもそうなのだろう、と空却は漠然と思った。敵意やら怒りやら触れがたい感情を露わにして、言葉という武器を放つのだ。
 獄がふいと視線を逸らした。口許をスウェットで乱暴に拭っている。胃液で食道が焼けたのか、喉を擦っている。立ち上がり、手を伸ばしてトイレのレバーを引く。水が流れる音が聞こえる。獄は何処か虚ろな目で水を見ているようだった。空却の知らない頃の記憶を思い返しているようだった。

「――恋だったら、良かった」

 空却の肺は一瞬だけ動きを止めた。獄の声が、揺らめいて消える。
 空却は考えるより先に身体が動いた。立ち上がり、獄の肩を掴んだ。力の儘に廊下へと放る。重たいものが壁にぶつかり、鈍い音がした。大方頭でも打ったのだろう。獄が頭を擦っているのが見えた。悪い、とは思わなかった。やってしまったのなら、後はもうひっくり返すだけだ。
 空却は、獄が吐いた言葉をもう一度頭の中で反芻させる。
――『恋だったら、良かった』?
 ふつ、ふつ、と腸が酷く熱い。胸当たりがじくじくと痛みを訴える。殺したはずの感情が叫んでいる。
 恋だったら、どうするつもりだったのか。恋でないから、どうなのか。
 空却には予想がつかない。想像もしたくない。違う人間だからか、生きた年数が異なるからか、生きた環境が違うからか、それ以外の理由なのか、解らない。自身の下唇を噛んだ。悔しさからか、歯痒さからかは解らないし、解りたくもない。知りたくもない。
 空却はもう一度、涙を流し続けている感情を丁寧に殺した。ぐう、と喉が苦しそうに鳴る。脳味噌から急速に熱が逃げ、先程までいた怒りに似た感情は影もない。笑いたくなるほどに、何処までも精神は凪いでいた。
 獄の上に乗り上げると、おいと不機嫌さを露わにした声が下から飛んできた。知るかと吐き捨てて獄の身体の触れると手が阻む。

「退け」

 ぎ、と獄の目に鋭さが増す。蟀谷に青筋が浮かんでいる。空却は獄の頬に触れた。髭がちくちくと掌を刺激する。掌を滑らせれば獄が僅かに強張らせる。なんだ、と獄が不快そうに言う。

「忘れさせてやろうと思って」

 思っていたよりも、存外楽しそうな声が出た。予想していたよりも、ずっと平静と変わらない声が声帯を震わせた。密やかに危惧していたよりも、滑らかに言葉は滑り落ちた。
 は、と獄の口から抜けた声が空気を震わせる。ぐ、と空却は身体を屈めさせる。視線が真っ直ぐと合う。顔を近付けさせると獄は逃げるような素振りを見せる。二日酔いのせいか、動きが鈍く見える。

「なぁ、獄。何にも解らなくしてやるよ」

 顔を一層近付け、少しかさついた薄い下唇に噛み付いた。薄く開いたままの口に親指を捻じ込み、閉じられないようにする。何か文句を言っていたが、空却は知らない振りをした。開きっぱなしの口腔内に舌を挿し込めば煙草の匂いがした。胃液と唾液と煙草の味のキスに、少しだけ愉快さを覚える。きっと、世界で二人だけだ。
 背筋がぞくりと震える。嫌がる右腕を抑えるために、行儀悪く足で肘あたりを踏んでやる。腕は数回暴れたが、すぐにすんなりと大人しくなる。空却はゆっくりと舌で獄の口腔内を探った。上顎の凹凸を擽ってやれば鼻から抜けるような声を出す。指で舌を引っ張ってやり、歯を立てる。過去にいただろう恋人にもそんなことをしたのだろうか。ほんの少しの好奇心が顔を出す。
 獄が抵抗しないことを良い事に、空却は獄のスウェットのウエスト部から手を差し入れた。肌を撫でると陰毛がちくちくと刺さる。突如暴れ出した獄を無視して、ゆるい陰茎を直接掴んでやる。

「っ、ふ、ざけるな!」
「おっと、大人しくしてりゃ酷いようにはしねェよ」

 やっていることはもう十分に酷いことだ。掴んでいる場所が場所だからか、獄は酷く大人しかった。緩く手を動かしてやると次第に硬くなっていくそれに、空却はせせら笑う。苦しいことも悲しいことも、そちらに神経をやらねば良い。ただそれだけだ。

「やめろ、」
「今更やめれると思うか?」

 水を張っていた盆はもう既にひっくり返っている。毒を食ってしまったならいっそ皿まで平らげてしまえば良い。
 獄が何か言っていたが空却はその言葉を右から左へと通り抜けさせる。スウェットを下着諸共下ろしてやる。使いこまれただろう陰茎はくったりと項垂れている。竿を擦ったり、尿道を親指の腹で押さえたりを繰り返す。単純な摩擦でも刺激として受け取ったのか緩やかに鎌首を擡げていた。

「拙僧の手でもおっ勃てるなんざ、さてはご無沙汰だったか?」

 獄は何も言わない。ただただ睨みつけているだけだ。早く終われとでも思っているのだろう。口に突っ込んだままの親指で、ゆるりと舌を撫でてやる。獄は指を噛むことはしない。歯でも立ててくれれば良かったのに、と落胆した声がする。何が良かったんだと空却は独り言ちた。

「っふ、ぅ、」

 滲んだ先走りを掬い取り、幹に塗り広げる。獄は無意識に快楽から逃れようと身体を捩るが、空却が上に乗っていることでそれも叶わない。空却はじっと獄の顔を見た。眉を顰め、目をつぶって、ふうふうと呼吸を繰り返している。かつていた恋人の前でもそんな顔をしたのだろうか。一人で自慰をするときにそんな顔をするのだろうか。何を瞼の裏に思い描いているのだろうか。

「おい、拙僧を見ろ」

 獄の口から指を抜いて、頬を軽く抓った。獄は唇を噛み締める。指を抜いたのは失敗だったと空却は歯噛みした。

「今、獄を抱いてるのは拙僧、」
「クソガキに抱かれてたまるか、たーけ」

 減らず口に、笑みが零れる。苛立ちが心地良い。そーかよと笑って手の動きを早くさせる。膨らんだ亀頭の部分を撫でたり浮かんだ血管を押してやったりすれば解りやすく悦い反応をする。抑えきれずに零れた声は、空却の気分を良くさせた。もっと聞きたい、もっと顔を歪ませたいと支配欲が嬉しそうに喉を鳴らして頭を揺らす。

「ぐ、ぅ"……っ、んン、」

 びくりと獄の身体が跳ねた。空却の手の内にある陰茎もどくどくと脈動を繰り返し、掌に温かな精液を放った。本当にご無沙汰だったのか、それとも二日酔いの身体では抵抗するより大人しく従った方が様々なリスクが小さくて済むのか。

「……もう満足しただろ、退け」

 手についた精液は急激に冷えて行く。掌をじっと見ていれば、汚いから洗ってこいと獄が言う。退かせる気力もないのか酷く大人しい。やはり、というべきか二日酔いが相当つらいのだろう。かといって謝るつもりは毛頭もない。もう引き返せない。
 手についた精液を、舌で舐めとる。青臭いにおいが嗅神経を刺激する。美味しい、とは思えない。獄を見ると、解りやすく唖然としていた。空却はおかしくて笑ってしまう。間抜け面だと嘲笑ってやる。
 インターホンの音が鳴った。空却と獄の身体がぴたりと止まる。だれだ、とどちらかともなく呟いた。
 もう一度鳴る。そういえば、と空却の脳裏に昨夜のことが思い浮かぶ。律儀に来たのか、と少しだけ感心してしまう。
 少し間をおいて、鍵が差し込まれる、音がする。がちゃり、と鍵が開く音がした。眩しさに空却は目を細めさせた。太陽は天辺を越えてしまったようだった。

「獄さ、――えっ?」

 心配そうながらも弾んだ声は、呼吸と共に押し込まれた。十四の影が獄の頭をすっかり呑み込んでいる。じゅうし、と混乱を極めた獄の声が響く。
 十四の持っていたレジ袋が、手から逃げて地面に落ちる。ごとりと鈍い音をしてスポーツドリンクが倒れ込んた。他にも何か入っているようだったが、誰も拾い上げることはしない。

「何で、空却さんが……獄さんを、」

 困惑しているのは、十四もだった。それはそうだろう、と空却は思う。少しくらい良いだろ、と空却はこっそりと舌を出した。
 美しい空色の目に涙がたまり、みるみるうちに溢れる。耐え切れなくなったそれは大粒の水滴となり、白い肌を滑っていく。それは地面に落ちた、らしかった。白い手が一層白くなるほどに、服を強く強く握り締めている。はら、はら、と涙を零す癖に、驚きのあまりかいつものように声を上げて泣いてはなかった。

「来いよ、十四」

 声をかける。十四の肩がびくりと跳ねた。瞳がゆらゆらと不安定そうに揺れる。空却はもう一度来いよと声をかける。う、とか、あ、とか、意味のなさない言葉が十四の口から落ちる。

「……誰も取ってねェよ」

 ひ、と十四の喉が震える。獄は、事態を呑み込めていない顔をして、空却を見るばかりだ。
 十四が一歩、一歩と足を踏み入れた。オートロックの扉は音を立てて閉まり、錠を降ろす。
 ひとやさん、と迷子になった子供みたいな声で囁く。涙で顔を濡らした十四は獄の頭の方へ座り、いかにも大切そうな手つきで獄の顔に触れた。これからきっと、大切な人にはしないだろう行為を行うだろうに。
 ごめんなさい、ごめんなさい、許さないで、と十四は幼子のようにしゃくり上げながら言う。獄の脳味噌は未だ理解するのに追いついていないようだった。

「――好き、なんです」

 獄が目を見開いた。十四が顔を屈める。二人の影が一つになる。空却の殺したはずの感情がもうひと声上げて、それきり動かなくなった。

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