いつの日にか愛は釘となり胸を貫く

 結婚式も結婚披露宴も驚く程に恙無く終わった。学生の頃に、寂雷と行った旅行先で走る電車に乗って何処か現実味の無い景色を眺めているような気持ちで獄は過ごしていた。昨夜見た夢が現実にならなくて良かったと心の底から獄は思う。その反面、全てをひっくり返すような、何もかもを滅茶苦茶にしてしまうような、そんな酷いことが起これば良かったのに、と考えている自身がいることにも気付いている。獄はひっそりと下唇を噛む。ちり、と痛みが走った。
 獄は後で合流した空却と十四とともにホテルへと送ってもらった。一日休んで朝にナゴヤに戻る予定だ。寂雷がゆっくりして欲しいからとのことだった。獄自身は今すぐにでも東都から出て行きたい気持ちしかない。瞼の裏に浮かぶ幸福そうな、自分の知らない表情をする寂雷が浮かぶ。獄の胸に暗雲ばかりが広がっている。詰まらねぇなと誰にも言えずに息を一瞬だけ止めさせた。
 ホテルの廊下には似たような扉がいくつも並んでいる。アルコールのせいで脳味噌が少しだけはたらくことを放棄している。好意で用意された空間が、ただ只管に落ち着かない。すぐにでも家に帰りたい。何も考えずに寝てしまいたい。
 花嫁から直接渡された、引出物が入った紙袋の中にはネームプレートなどが押し込まれている。どうせ燃えるゴミに出すしかないそれを、獄はいっそホテルに置いてしまおうかと思案に沈む。ホテルにでも置いてしまわないとひとりでは捨てることがきっと出来ないことを理解している。大したものが入っている訳でもないのに、紙袋は酷く重たい。歩みを止めてしまえば次に歩き出す事が億劫だと感じるほどだ。

「すっごく綺麗でしたね。ご飯もとても美味しくって」
「拙僧は見習いDJがサプライズするとは思わなかったがな」
「でも楽しかったっす! 他の人もすっごく楽しそうで……」

 獄の前を歩く二人が楽しそうに今日あった思い出をなぞっている。獄はそれを遠い世界の出来事みたいにぼんやりと眺めるだけだ。獄の脳裏に花嫁の姿が過る。幸福そうな横顔。新郎の耳元に口を寄せて何かを告げている顔。スピーチやサプライズでの嬉しそうな表情。次々へと切り替わる間に昔の記憶と獄の脳味噌が作り上げた虚像が入り混じる。
 そんなに疲れていない筈なのに、泥になったかのように疲れている。心なしか頭痛がする。憂鬱だと思う気持ちも怒りのような感情もどこにもいない。ただただ胸のどこかがぽっかりとした穴があいたような、身体がばらばらになってしまったような、どうにもならない問題を渡されたときのような、そんな気持ちが獄の足を掴んでいる。
 十四が与えられた部屋の前に立つ。カードキーを翳して鍵を開けた音が聞こえた。

「なぁ、獄は明日何時に出るんだ?」

 空却の言葉に、一瞬程反応が遅れる。ああ、自分が話しかけられているから、答えなければと何処か他人事のように考えている。朝飯を食べたらすぐに帰ると告げたら十四がすかさず不服そうな声を上げた。

「折角東都まで来たのに、もう帰っちゃうんすか!」

 普段なら何か一つ小言でも吐いただろう。だが今の獄には何かを言う気力が残っていない。小さく溜息だけを吐く。そうだ、仕事があるんだと思い出す。どうしてか獄の脳味噌は何処か遠い世界のことを思っているようだった。兄が死んだときだって、きっとそんな風にはならなかった。兄の死に関する証拠が潰されたときは、怒りの方が勝っていた。あのときの寂雷の顔が過る。何も教えてくれなかったときの寂雷の顔だ。結局今となっても何も教えてくれない。何で俺ばっかり、と零れた不平が口から飛び出る。

「獄さん……?」

 十四の声が鼓膜を震わせる。腕を捕まえられた。獄はゆっくりと顔を上げる。目尻が吊り上がった目、垂れた眉。制服に袖を通した寂雷が非常に鮮明に思い出される。あ、似ていると、思った。胸がきうと締め付けられる。引っ掻かれた傷痕が浮かび上がり、赤い血をじわりと滲ませる。じゃくらい、と唇がその形を描いて強張る。
 強い力が獄の腕を引く。強い力が獄の背を押す。獄の脚が転ばないようにと一歩二歩と歩き出す。獄はその力に抗うことをしない。部屋の扉が閉まる。紙袋が獄の手から離れる。ことんと軽い音を立てて落ちた。

2022/05/26

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