断ったら飼い殺す03


 八戒を殴った。聖夜決戦と呼ばれたあの日振りだった。
 連絡も碌にせずに久し振りに顔を見せたと思えば、髪を金に染めた八戒が東京卍會にいるんだと言う。世間一般的に東京卍會は史上最悪の愚連隊だ。そんなところに所属させるために育てた覚えはない。いつ抜けるんだと言えば、抜けないと八戒は強い口調で返した。八戒の側にいる柚葉も、覚悟を決めたような顔をしていた。
 大寿は八戒の顔面に拳を振り上げた。八戒は避けなかった。自身より細い体躯が床に倒れる。柚葉も咎めるような声を出さない。それが一層大寿を惨めな気持ちにさせた。

「ごめん、兄貴」

 八戒は殴られた左頬を擦りながら大寿を見る。ごめん、ともう一度呟いた。そう言わせたかった訳じゃない。そうさせたかった訳じゃない。そう思うなら自分の会社の従業員でも良いからなってくれ、と大寿は少し早口で呟く。八戒は何も言わない。苛立ちから大寿は舌打ちを一つする。
 オレはもう行くから、と八戒は踵を返し、出て行った。柚葉は大寿を見上げる。お別れだ、と小さな唇が音を紡ぐ。家を出て行ったとき、大寿自身が言ったときのものよりかは遥かに重い響きをしている。大寿自身とよく似た蜂蜜色の目が、触れれば軽い音を立てて壊れてしまいそうなほど張り詰めている。待っているとは言わなかった。親父には上手く伝えておくと話す。柚葉はやはり頷くだけだ。玄関に向かい、柚葉はヒールを履く。質の良さそうなものだ。八戒は恐らくマンションのエントランスにでもいるのだろう。

「大寿」

 扉を開く前に柚葉が振り返る。

「本当に、ごめん」

 送り出したくない。出来ることなら首根っこを引っ掴んでても大寿の手が回る範囲内に収めさせたい。八戒のことはお前が気に掛けるだろうから、柚葉は自分の身体を殊更大切にしろ。応援なんか絶対にしない。飯はきちんと食え。伝えたい言葉もしてやりたいことも全て押し殺す。八戒さえ抑えることが出来れば柚葉だって大人しくついて来ることを、経験上知っているのに、そうしなかった。

「……オレは、お前たち二人のことを愛している」

 柚葉の目からぽろりと涙が落ちた。大寿はハンカチを取り出し、柚葉の目元を軽く抑える。随分昔に二人が、恐らく用意をしたのは柚葉だけなのだろうけれども、大寿の誕生日にくれたタオルハンカチだ。最初は濃い赤色だったが、随分色褪せてしまっており、薄茶色になってしまったクマの刺繡は所々ほつれている。捨ててもらっても構わない、持っていてくれと柚葉に握らせる。二人ともいつでも帰って来いと静かな声で伝えた。帰って来られることがあるか解らないが、そのもしかしてにみっともなくも縋ってしまいたかった。柚葉が鼻をすする。さよなら、と告げて、柚葉は扉を開けて出て行った。扉が閉まる音がする。オートロックでカギがかけられた。大寿はその場に座り込む。愛しい二人はもう大寿の手元からすっかり離れてしまったのだ。
 大寿にまとわりついたのは虚脱感だった。聖夜決戦で味わった敗北よりも、ずっと暗くて冷たく、心寂しい。妹と弟が自立をしたことについて素直に喜べない。酷い兄だろうかと自問するが、回答は躍り出ない。電気も点けずに、大寿はソファにもたれてぼうっとしていた。
 玄関が開き、閉じられる音がする。隠しもしない足音がこちらへ近づいている。大寿はゆっくりと顔を上げる。暗闇の中から現れたのは、髪を黒く染めた三ツ谷だった。左耳のピアスが窓の外から入り込んだ光に反射し、鈍く光る。此処のセキュリティは一体どうなってんだと普段なら憤っていただろうが、その元気もない。

「八戒から聞いたよ、大寿くんに会ったって」

 静かな声がする。電気くらい点けなよと、三ツ谷は普段と変わらない声で電気を点けた。三ツ谷は大寿の向かいに座る。大寿は眩しさから数回瞬きをする。三ツ谷の目の下にうっすらとであるがクマがある。昼間に会った八戒と柚葉の顔を思い出し、胸が締め付けられる。

「髪、黒く染めたんだな」
「うん。似合わないっしょ」

 からからと三ツ谷は笑う。黒いスーツに黒いネクタイ。まるで誰かの葬式帰りみたいだと大寿は何処か他人事のように思う。何しに来た、と大寿が問う。ああ、そう、そうなんだけどと三ツ谷がかしこまる。大寿も座り直した。宵闇色の眼が真っ直ぐと大寿の曙色の眼を射貫く。

「抱かせて欲しい」

 その音を聞いた瞬間、大寿は腕を振り下ろしていた。動揺していたおかげというべきかせいというべきか、三ツ谷には左程ダメージは与えられなかったようだ。三ツ谷は殴られて赤くなった頬を擦ろうともせずにへらりと笑う。大寿は言われた言葉を反芻した。もう一度拳を強く握る。三ツ谷が降参と言わんばかりに両手を頭よりも高い位置に挙げる。

「解ってるし知ってる、大寿くんが熱心なクリスチャンってこと」
「じゃあ、なんだって、」
「オレがそれで暫くは生きられるから」

 大寿は握っていた拳を解いた。
 可哀想な男だ。希望を抱く自由があったとて、息が十分に出来るとは限らない。お願い、と上目に三ツ谷が大寿を見る。馬鹿げていると一蹴すれば良かったのに、もう一度その頬を殴ってしまえば良かったのに、大寿は身体を預けてしまった。気の迷いからだったのか、同情からだったのか、それとも妹と弟を守って欲しい一心からだったのか解らない。誰かに乗り上げられることも、その手が自身の手をシーツに縫い留めることも、キスも、自身を暴かれることも……何もかもが初めてのことばかりだ。きっとこれ以降無いのだろうなと、大寿は喘ぎながら漠然と予感した。
 二人で眠るにしても余裕のあるベッドで大寿はひとり横になっていた。三ツ谷は窓を開けて外を眺めている。大寿は窓の外を見る。夜明けはまだのようだ。湿った空気がまだ素肌に貼り付いている気さえする。三ツ谷が振り返り、起きたんだと笑いかける。三ツ谷はすっかり来たときと同じ格好になっている。水の入ったペットボトルを渡され、大寿は水を一口飲む。喉がまだがさがさとしている。小さく咳き込んで、もう一口水を飲む。

「……柚葉と八戒には、変わらずに接してやって欲しい」

 二人を守ってくれと言えば、この男は何を犠牲にしてでもその通りにするだろう。大寿はそんな予感をしていた。三ツ谷が万次郎と自分との口約束の板挟みになって苦しむくらいなら、二人を守れなくても良い。三ツ谷にとっての呪いには決してなりたくない。思いの外三ツ谷にも情が移ってしまっていたらしいことを大寿は漸く初めて自覚する。

「うん、約束する」

 小指が絡めとられる。ゆびきり、と三ツ谷が歯を見せて笑う。馬鹿げているとは言わなかった。幼い頃に数回ほどしか聞いたことの無い歌を三ツ谷が穏やかな声で歌う。少しして、名残惜しそうに三ツ谷の小指が離れた。触れていた所がじん、と熱を帯び、冷たい空気が舐めていく。
 また大寿くんに会いに行くよと優しい声が空気を震わせる。度々二人の様子を報告してくれるとのことだった。好きにしろと大寿はいつかのように返事をする。いつか会えなくなってしまうのなら、会わないほうが却って良いと知っていても、言葉は喉元でひぐりと引き攣った音を立てただけだった。夜明けが来るのがどうも惜しいと感じたのは、後にも先にもこれだけだ。愛してるよと三ツ谷が笑った。

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