断ったら飼い殺す06

六
　緩やかに大寿は目を覚ました。瞬きを数回繰り返してどうにか微睡から這い上がる。頭が少しぼうっとする。遮光カーテンの隙間から僅かに光が入り込んでいる。そういえば八戒たちは出かけているのだっけと予定を確認する。眠ったままでいる訳にも行かず、大寿は上体を起こす。ふと辺りを見て、ぎくりとした。枕元にいつかのように座っている。視線を僅かに上げて確認する。記憶の中で黒かった髪はかつてのように藤色だ。以前と違うのはその髪伸びている。人好きのする顔立ちはそのままだ。みつや、と大寿は唇をその形に描かせる。にこりと男は大寿に笑いかける。いつか贈った香水の匂いに混ざって消毒液の香りと甘い花の香りがする。ベッドの側にあるチェストの上に花束が置かれている。花の香りはそれからだろう。寝る前にはなかったものだ。

「おはよう、大寿くん」

　柔らかな声が大寿の鼓膜を震わせた。今日は良い天気だよ、とまるで昨日も会ったかのような軽い口調でカーテンを開く。薄暗い部屋に光が入り込み、少し眩しい。
　三ツ谷は恭しく大寿の左手を取り、口付けをする。大寿は喉がきつく締め上げられる感覚を覚える。寝起きであることと驚きのあまり言葉が紡げない。ひぐ、と喉元が変な音を立てただけだ。

「遅くなってごめんね。マイキーがどうしても許してくれなくて。そしたらタケミっちがきてくれてさ、後始末で結構時間食っちゃって」

　いつかと変わらない喋り方だ。大寿は空いている右手で三ツ谷の頬に触れる。確かに大寿の手を押し返す感触がある。三ツ谷が僅かに表情を柔らかくさせる。あの夜に触れたときと同じ、ほんの少しだけ低い体温に、鼻の奥がつんとする。三ツ谷が大寿の掌に頬を摺り寄せる。思わず大寿は手を離した。

「死んだのかと……」

　大寿がポツリと呟く。言葉は中途半端に途切れ、大寿は息を緩やかに吐く。未だ夢を見ているのかとさえ疑わしい。そう思っても仕方ないよと三ツ谷は穏やかに笑って大寿の左手を両手で優しく握る。大寿は三ツ谷の手を簡単に振り払えるはずなのに、そうしなかった。
　八戒と柚葉を東京卍會から脱退させたこと、昔の東京卍會を取り返したくて万次郎や他の仲間を説得したが上手く行かなかったこと、そうこうしているうちに颯爽と現れた武道が来て全て変えてしまったこと、手続きがやたら煩雑で会いに行くのが遅くなったこと、これからはデザイナーとして生きていく予定であることを三ツ谷は穏やかな口調で続ける。可能なのかと疑問に思うが、三ツ谷がそう言うなら可能なのだろう。ルナとマナには会ったのか、と尋ねると、先に大寿くんに会いたくてと肩をすくませながら答えた。優先順位が間違えていると思ったが、指摘せずに胸元で留めておく。

「それから、これ、借りっぱなしにしてごめん」

　三ツ谷がポケットから色褪せたハンカチを取り出した。それは柚葉と八戒が大寿の誕生日に渡し、八戒たちが大寿と別れた日に大寿が柚葉に渡したもので、抗争の日の前日に三ツ谷が八戒からかりたものだ。すっかり色褪せて、所々擦り切れているそれは、渡したときよりも随分使い込まれている。本当なら八戒に返すんだろうけど元々は大寿くんのだろ、と三ツ谷の柔らかな声が聞こえる。大寿は頷く。そんなもの良かったのにと言ってやりたいのに言葉が絡まり、音にならない。
　何しに来たんだ、と突き放すような言葉が大寿の口から吐いた。三ツ谷は全く気にしていないのか、そうそうと思い出したように言う。始終柔らかな雰囲気だ。

「プロポーズしに来たんだよ」

　大寿は耳を疑った。どういうことなのか未だ理解が追い付いていない。三ツ谷はポケットから指輪を取り出し、極当たり前のように大寿の左薬指に通す。それは大寿の指にピッタリとはまった。そうあるべき姿と言わんばかりに馴染んでいる。大寿の指にはまったそれを見て、三ツ谷はすごく似合ってると目元を蕩けさせる。日の光を浴びて、指輪がきらりと輝く。

「――それでね、オレと結婚してくれる？」