さよなら境界線04

 一虎が魔界に帰ってからそのまま数日が経った。場地は相変わらずだ。呼吸は比較的安定している気がするが、狼に似た姿で眠ったままだ。狼の腹を見ると、刻印は依然として存在している。場地さん、と小さく名前を呟く。ぴく、と耳が動くので恐らく意識はそれなりにあるのだろう。一虎との仮契約で恐らく消えてしまうことはないだろうが、不安になる。少しでもマシになれば、と思うばかりで千冬に出来ることはない。祈るように名前を口にするしか出来ない。
 りん、と鈴の音が聞こえた。顔を上げると一虎がベランダに立っている。ぞっとするほど表情の無い顔だった。千冬は窓を開けた。一虎の後ろにある丸い月は一虎の目のように煌々と輝いている。

「一虎クン、アンタ今までどこに、」
「今から殴りに行くぞ」
「なッ……!?」

 一虎の言葉に千冬は大きな声を出しかけた。口を慌てて抑える。夜中に声を上げては近所迷惑だ。どこに、と尋ねると一虎は地図を渡す。学校から少し離れた所にあるホールだ。学校行事で何度か足を運んだことがある場所だ。どうやらそこで寝泊りをしているらしい。そう言えばホールの敷地内に礼拝堂とか寝泊りする所があるって話だったっけと千冬はぼんやりと思い出す。歩いても行けないことはないが、少し距離はある。普段その聖職者はイタリアにいるらしく、叩くなら今日しかないと一虎が説明する。千冬は解りました、と頷き、懐中電灯だけを持ってそのホールに向かうことにした。
 夜道は不自然なほど人がいなかった。何かあったっけと思うが思い出せない。歩いている間、一虎と千冬は静かだった。ただ、一虎が歩く度に鈴の音が鳴るだけだった。
 暫くして件のホールに着いた。普段はそこでリサイタルや音楽会が行われる場所だ。明かりの無いそこは少し不気味に見える。日中であれば開かれている、蔦模様をあしらった金属でできた門扉は固く閉ざされている。その周りには白い塀で誰かが入ることを拒んでいる。ひょいと一虎は門を乗り越えていく。

「入んねぇの?」
「どうやって入ろうか考えているんです」
「門から入れば良いじゃん」
「あのですね、普通鍵が……」

 門に手をかけて、押すとすんなりと開いた。鍵をかけるのを忘れていたのか、上手くかけられてなかったのか解らない。ラッキーだな、と一虎が冷たい声で言う。千冬は何も答えずにするりと入り込んだ。
 一虎は迷いなく目的地へ向かう。千冬は懐中電灯を点けてから慌てて一虎の後を追いかける。恐らく寝泊まりしているだろう、十字架が屋根についている小屋へ向かう。そこも不用心なことに鍵が開いていたため、すんなりと入れた。普通、センサー等が作動する筈なのに、静まり返っている。もしかしてセンサーを付けるほどの金も無いのだろうかと少しだけ可哀想に思えた。寝泊りする場所は普通の一軒家のようだ。靴を履いたまま一虎が向かったので、千冬もそれに従う。
 千冬は歩きながらずっと考えていた。祝詞を解除する方法なんて知らない。学校ではそんなものを解除する必要がほぼほぼ無いからか、教科書には載っていなかった。どうやって解除させるつもりなのだろうかと、一虎を見る。一虎は相変わらず無表情だ。階段を上り、ある部屋の前に着く。

「此処だ」

 小さな声に千冬は固くなる。扉に鍵はついていなさそうだ。りぃ……んと鈴の音が鳴ると、一虎の足元に黒い靄のような物が集まり、それは動物園でよく見かける虎の形となった。

「作戦とか、考えているんすか」
「作戦? いるか? そんなの」

 寝ているところを襲撃するからいらないのだろうか、と千冬が考えかけた瞬間、一虎はぶっ潰すだけだと静かな声で言った。直後に扉が乱暴に開かれ、一陣の風が吹く。虎の吠える声と人間の戸惑う声。少し遅れてバキバキと派手に何かを壊した音が聞こえた。千冬は慌てて部屋の中に入る。何か物凄い力のある生き物がベッドを破壊し、カーテンを引き裂き、部屋はかなり荒されていた。てんてんと残っているのは恐らく血液だ。天井にぽっかりと穴が空いている。一虎がやったのだろう。あっという間だった。
 千冬は慌ててベランダへ出る。十字架が付いていた屋根は此処の部分だったのかと遅れて理解した。一虎は十字架の天辺に立ち、聖職者の足首を持って逆さづりにしている。千冬は啞然と口を開いて二人の様子を見ることしか出来ない。鼻血を流している聖職者が何かを喚いているが、風のせいであまりよく聞こえない。

「一虎クン!」

 千冬は辺りを見渡し、雨どいのパイプに足を掛ける。どうにかして屋根に上ると一虎の金色の目が千冬を見ていた。何の感情もない目に、思わず後退りをしたくなる。一虎は首を傾げて笑う。酷く楽し気に見えた。

「……どうする? コイツを今八つ裂きにでもしちまえば、オレらの願いは叶う」

 助けてと喚く聖職者を千冬は無視をする。十字架で身体を支えながら、千冬は一虎を見上げた。きっと、頷けば即座に八つ裂きにでもするのだろう。そうすれば場地は助かる。でも、と千冬は首を横に振る。

「オレは……場地さんが助かるなら……でも、一虎クン、ソイツを殺すのは違う。それだとアンタは人を殺した悪魔になるだろ」

 悪魔が人を殺せばほぼほぼ間違いなく教団から追われるようになるだろう。この部屋の状況は間違いなく悪魔がしたものだと解るだろうし、教団だって何かしらの手で悪魔を見付けて追い払うこともある。害をなした悪魔は消されるものだ。一虎と過ごした日は長くないが、千冬はそうさせたくないと強く考える。きっと場地だって、一虎が教団に追われるようになることは望んでいないはずだ。
 ふーん、と一虎が興味なさそうに返事する。祝詞って解除できるんですよね、と千冬が聖職者に尋ねる。確かにできるが、と聖職者は返事した。千冬は一虎を見る。一虎は聖職者の足を持った手を、屋根の無い方へやる。このまま手を離せば、間違いなく地面に叩きつけられる。にっこりと一虎が飴を貰った子供みたいに笑う。

「じゃあ、コイツが祝詞を解除したくないっつーなら、解除したくなるまで落とすしかないな。まぁ死なねぇだろ。コイツが死んでもそれはそれでオレは問題ないしな」
「わかった! わかった! あの悪魔にかけた祝詞は解くからぁあ!!」
「じゃあさっさと解けよ。出来ないわけねぇよなぁ」

 聖職者が何かを呟く。一虎の鈴がひとりでに一際高く鳴り響いた。見れば、鈴の色が金色に戻っている。契約が終了したのだ。千冬は安堵感からその場にへたり込んだ。これで、場地が良くなる。良かったぁ、と口からそんな言葉が落ちる。ぼろぼろと零れた涙を手で拭う。早く帰って確認したい気持ちに駆られた。
 一虎は手をぱっと離した。聖職者が悲鳴を上げながら落下する。地面にぶつかる直前に、一旦空中で浮遊した。え、と言う間もなくどすんと腹からしたたかに着地した。その近くに一虎は降り立つ。千冬は落ちないように気を付けながらパイプを使って、一気に二人のいる地上まで降りる。一虎は俯せに倒れた聖職者の近くでしゃがみ、顔を覗き込んでいる。

「半端なことすんなよ? しやがったらオレがテメェの家族の魂を砕いてやる」
「解ってます、解ってますからぁ!」

 ひえぇと泣き叫びながら、聖職者は何処かへ逃げて行った。ふんと一虎が鼻を鳴らす。情けない姿だ。自分の命を懸けて他者を守ることも尊いことだと言う教えがあったのに、所詮そんなもんかとも思える。聖職者でない人間だってそういう所があるから、仕方ない気がしないでもない。

「よし、帰るか」

 一虎が背伸びをしながら言った。すたすたと歩き出す。金色の鈴が歌うように音を出している。千冬が、建物はあのまま放置で良いんですかと聞けば一虎が足を止めた。少し考えるような素振りをする。

「先に帰ってろ」
「えっ、あっ、一虎クン?」

 そう言って一虎は姿を消した。千冬は少し考えて、近くにあったベンチに座る。一虎がいつ戻ってくるか解らないが、迷子になったら困るだろうと思ってのことだった。また、千冬は酷く疲れていた。肉体的よりも精神的な疲れだ。間近で悪魔の強さを見せつけられたのだ。今自分は見習いであるが、エクソシストはああいう戦いをしなければならないのかと気が重くなる。どうやったら強くなれるのだろうと考えて、ぎゅ、と拳を握り締める。強くなって、契約も見直してもらって、場地と共に過ごしたい。その時に隣に一虎がいればもっと良い。
 早く帰って場地の様子を見たかったのに、一虎が気掛かりだ。空を見上げる。満月は天辺を通り越して傾いている。星がちらちらと小さくお喋りをしていた。
 一方、ホールにて。そこまで逃げた聖職者は肩で呼吸をしながら暗い廊下を歩いていた。強かに打ち付けた腹が痛い。足首だって強く握られたせいで、ずきずきと痛む。もしかしたら痣になっているかもしれない。

「小僧が……っ、悪魔如きと手なんか組みおってぇ……!」

 悪魔を消すために祝詞を使ったのに、それを解除しろだなんて、碌なことを考えていない証左だ。あんな四半世紀も生きていない子供に命令されるなど非常に腹立たしく、歯軋りをする。

「裁いてやる……悪魔崇拝者なんぞ、殺してやる……っ!」

 管理室に辿り着き、聖職者は扉を開いた。電気も点けずに電話に駆け寄る。受話器を取り、良く知っている番号を押す。悪魔崇拝者は処罰しなければならない。悪魔だって消さなければならない。呼び出し音が数回鳴る、プツッ、と接続した音が聞こえた。

「もしもしっ……! 悪魔っ、悪魔崇拝者が、」
『――なぁにやってんだよ、おっさん』

 受話器から聞こえた小馬鹿にするような声に男は凍りついた。先程の悪魔の声だ。聖職者は受話器を電話本体に叩きつける。なぜ、一体、どうして、かけた番号は教団本部に繋がるもののはずだった。一歩、二歩、と聖職者は電話から距離を取ろうと後ずさる。背中に何かぶつかった。勢いよく振り返るとあの悪魔が笑っている。情けない悲鳴を上げながら聖職者はその場に尻餅をついた。腰が抜けたのだ。逃げたくても扉は悪魔の後ろ側にある。

「あーあ、折角千冬が助けてくれたのになァ……人間っていつもそうだよな。恩を仇で返すのが好きみたいで」

 悪魔がにやにやと嗜虐的な笑みを浮かべながらゆっくりと近寄る。聖職者は引き攣るような悲鳴を上げながら壁に背中を押し付けさせた。ぶわ、と毛穴と言う毛穴から汗が溢れ出る。ひぃ、ひぃ、と上手く呼吸が出来ないのか、口をはくはくと酸欠の金魚のように開閉させた。

「待て、あの人間はあの悪魔を助けさえすれば良かったんだろ! なにも、私を殺すことは……」
「馬鹿だなァ。オレたちの契約に対する報酬は場地の生命維持と、オレの邪魔をしないこと。つまり、オレがテメェのクソみてぇな魂を得ることに干渉しないことだ」
「だがあの小僧は言ったぞ! 殺すのは違うって!」

 その言葉に一虎は吹き出した。大声で笑い、腹を抱える。殺すのは違うと確かに千冬は言った。確かに契約に則って魂を譲渡すればそのものは安らかに眠るように心臓が止まる。だが無理に奪うとなれば残された肉体の反応は少し変わる。無理矢理魂を奪われた肉体は、生きる気力を失ったようだと人々にいつも言われている。
 そのことを|見習い程度の人間《千冬》が知らないのはまたかと思う程度で別に構わない。だが、その見習いよりも遥かに年上の、しかもエクソシストとして前線に立っていた人間がそんな気の抜けたことを言うのが酷くおかしかった。魔界に帰って他の悪魔たちに言ってやろうと心に決める。

「エクソシストの癖に知らねぇのかよ! 魂抜かれても人間の心臓も脳も暫くは動いているんだよなァ!」

 りィん、と鈴が鳴ると黒い靄のが立ち込め、一箇所に集まる。やがてそれは虎の形となった。一虎は虎の頭に手をやり、ゆるく撫でる。虎が低い声で喉を鳴らす。いやだ、助けてと怯えた姿を晒す聖職者の姿が何とも哀れで、却って笑いを引き起こす。

「元々オマエが仕掛けて来たんだろ? 落とし前つけろや!」

 一虎の足元にいた虎が飛び上がる用にして男にのしかかる。断末魔が響き渡った。虎の鋭利な牙から逃げようとする滑稽な姿に一虎はにたにたと笑う。テレビで流していたB級ホラー映画の方が面白かったなとどうでも良い感想を思い浮かべた。少しして虎が返って来る。一虎に光り輝く魂を渡し、霧のように消えた。一虎は両手で魂を掬い取る。ふるりとふるえた、固形とも液体とも言えないそれに唇を寄せた。全て飲んでしまいたくなるのを我慢しながら、ちゅる、と音を立てて吸う。半分ほど啜った頃に唇を離した。

「はーぁ、ごちそーさん」

 魂は聖職者なだけあって穢れが少なくとても美味しかった。近年で稀にある美味しさかもしれない。半分だけ残したそれを食べたい気持ちを抑えて、手乗りサイズの虎を作り出す。それに魂を場地へ届けるように命令した。千冬が歩いて帰っているなら、まだ家に着いていないだろう。
 虎に襲われて仰向けに寝転がっている聖職者はすっかり気力を失くした人間となっている。恐らく朝日が昇れば、この聖職者はベッドの上で心臓がとまるのを緩やかに待つことしか出来ない。生気の失った淀んだ目を見て一虎は満足そうに笑む。聖職者の家族もきっと美味しいだろうなと幾ばくか満たされた腹を軽く叩いて一虎は来た道を戻る。
 ベンチに座って空をぽけーっと眺めている千冬を見付けた。一虎は溜息をわざとらしく吐く。

「何だよ、帰りゃ良かったのに」
「あ、おかえりなさい。迷子になるかと思って」
「なるかっての。場地の場所は解るんだからさぁ」

 そうなんすねと千冬が返事をする。何の用事だったんすかと聞かれて、一虎は襟足をいじる。あの小屋、アイツがした事になんねぇかなぁって思ってたと言えば難しいんじゃないんすかと尤もなことを言われた。

2023/10/04

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