想いという裂傷05

 期日はやって来た。大寿は銃の状態を再度確認する。今夜の目的は八戒と三ツ谷との契約を解除させることだ。そして恐らく、解除出来たからと言って大人しく引き下がるとは思えない。魂を得られるのであれば、悪魔はある程度の犠牲を払うことに厭わない。
 念の為に柚葉と八戒には自身が従えている悪魔をつけさせた。そうでもしないと二人はこの礼拝堂に来てしまう。柚葉と八戒からはせめてと護符を渡された。祈りを込めて作れば強いお守りになるから、と渡されたそれをベルトに結び付ける。
 大寿はひとり、真夜中の礼拝堂に入る。電気もつけていない、月の頼りない明かりが差し込んでいる。このまま静かに呼吸を繰り返していれば、礼拝堂を構成する生き物か何かになったような気持ちになる。
 大寿は十字架の前で指を組み合わせる。瞼を閉じて幾度も口にしてきた、主への祈りの言葉を口にする。おまじないのようなものだ。エクソシストを知るより前、母が亡くなる前に知ったものだ。あの悪魔には祈りの類は効かない。悪魔には人間の常識だって通用しない。言っても解らないのであれば、痛い目に遭わせて従わせるしか手はない。
 教会の鐘の音が響く。真夜中に鐘がなることはない。耳を欹てるが、不思議と車などの音が聞こえない。乾と九井との繋がりは認識できる。悪魔の領域に入ったのだろう。悪魔が用意する領域は魂を取るときに必ず展開されるものだと認識している。第三者からの介入が許されない空間だ。領域に入ったからと言っても必ずしも魂が取られる訳ではない。大寿も度々引き摺り込まれたこともあるが悪魔を祓えば脱出できた。だが、何処にいても感じる視線には慣れない。
 大寿は瞼を上げる。無かったはずの蝋燭が床やらベンチの上で緩やかに灯りを提供している。暖かな光はぼんやりとベンチなどの輪郭を浮かばせている。不安定そうにゆらりと炎が揺らめいた。

「大寿くん」

 後ろから柔らかな声色で名前を呼ばれる。大寿はくるりと向きを変える。大寿が手を伸ばせば十分に届く距離で三ツ谷はうっすらと笑いを浮かべさせている。三ツ谷が一歩、大寿の方へ歩き出した瞬間、大寿は銃口を三ツ谷に向けた。三ツ谷は両手を肩の位置まで挙げる。引き金に指が掛かってないのを見て怖いなぁと笑っている。その横っ面を今すぐにでも吹っ飛ばしたい。八戒との契約さえなければ風穴をいくつも開けている。その感情を抑え込み、大寿は口を開く。

「お前と八戒の契約は無効だ」

 悪魔の言うことに耳を貸してはいけない。悪魔と会話をしてはいけない。戸惑ってはいけない。語りかけるのではなく、一方的に宣言すべきだ。
 最初に大寿が悪魔と対峙したときに覚えたことだ。隙を僅かでも見せれば、悪魔はそこから入り込み、自身だけでなく大切な人をも破滅へと導く。遠い記憶の、幼い二人が脳裏を過る。母に抱かれて何かを話す妹の横顔を思い出す。幼い自身の指に巻き付いた弟の柔らかな手を思い出す。あの二人だけは、大寿自身に何があっても守ると決めている。

「八戒が喚ぼうとしたのはゴエティア第三十四の霊、フルフルの隷属だ。三ツ谷は喚ばれてもいないのに、無理に捻じ込んだ」

 三ツ谷は黙って大寿の主張を聞いている。焦ることもせずに、何か楽しい演劇でも見ているような顔だ。このときに迷えば、その隙に付け込まれる。大寿は銃を僅かに強く握り締める。間違っていることは何一つない。この契約は正当なものでないことを突き付けることが、今回の仕事だ。

「八戒は三ツ谷と契約するつもりも予定もなかった。ただ、三ツ谷が頼んでもいないのに勝手にセッティングし、契約をさせた。八戒の意思は殆どなかった。よって契約は無効だ」

 三ツ谷の右側頭部から黒い龍を模った模様が浮かび上がる。ヒビが入った途端、ぱきんと軽い音を立てて粉々に砕けた。黒い破片は空気に融け込み、見る見るうちに消えてなくなる。あれが契約書だったのかと大寿は瞬時に理解する。これで一先ず八戒との契約は無効となった。柚葉も八戒もこの悪魔に魂を取られることはまずなくなった。
 ぱち、ぱち、ぱちとゆっくりとした拍手が部屋の空気を震わせる。蝋燭の炎が揺らめき、一瞬だけ三ツ谷の輪郭を闇に融け込ませ、また浮かび上がらせた。口元は僅かに笑みを称えさせている。紅藤色がじっと大寿を見つめている。

「あーあ、あの本、燃やしておいたのに」

 流石大寿くん、とゆっくりとしたテンポで拍手をしている。さして残念がっている訳では無さそうな声色に、この結果になることを十分予測出来ていたのだろうと気付く。大寿は鼻で笑った。

「残念だったな、ウチの犬猫コンビが優秀でな」
「ははっ、ホント……嫌になるくらい優秀だね」

 大寿くんはオレと契約する気はない? と三ツ谷はなんてことの無いように尋ねる。大寿は露骨に顔を歪め、絶対にしないときっぱりと告げた。ただでさえ複数の悪魔と契約をしている上に、乾と九井の契約で二人以外の悪魔と契約しないという約束もある。そもそも大寿は悪魔と契約することを全く考えていなかった。そうだよね、とやはり何処か軽い調子で三ツ谷は話す。

「さて、これでテメェが此処にいる理由もないだろ」
「えっ? オレはずぅ……っと昔から大寿くんに会いたかったのに、そんなつれないことを言うんだ?」

 こつ、と三ツ谷が一歩大寿に近寄る。大寿は下がることはしない。ただ、銃の構えをそのままに、三ツ谷の額に照準を合わせたままだ。こつ、と三ツ谷がもう一歩近寄る。視界の端で何かが過る。過度の緊張にあった大寿の意識が一瞬そちらに逸れてしまった。三ツ谷が素早く大寿との距離を詰める。大寿は引き金を引いた。銃が花火のような音を立てて撃ち出される。三ツ谷は避けたようだった。三ツ谷の手が大寿の顔へ伸ばされる。大寿は舌打ちをした。
 突如、バチンと強い静電気が流れるような音が響いた。
 大寿の足元に、焼け焦げたような護符が落ちている。僅かに三ツ谷の顔に焦りが過る。結界か、と三ツ谷の唇がその形を描く。大寿は三ツ谷の手を、咄嗟に払った。そこからは脳髄を通さずに、脊髄が命令を出していた。大寿は素早く三ツ谷の足を払い、自身よりも細い首に左手をかけた。押してやると三ツ谷は後方へバランスを崩し、大寿はそのまま上に覆い被さる。撃鉄を起こして右手の銃口を三ツ谷の額に押し付けた。右手の人差し指は引き金をいつでも引けるようになっている。

「観念しろ」

 引き金さえ引けば、大寿はいつでも三ツ谷を痛めつけることができる。無駄なことはしたくないだろうと大寿は冷たい声で言い放つ。三ツ谷はやれやれと肩をすくませる。しょうがないなと言いたそうな顔だ。

「じゃあね大寿くん。また会いに行くよ」

 三ツ谷の身体がぼろりと崩れた。大寿の指の隙間から砂のように逃げて、一陣の風がさらっていく。魔界に戻ったのだろう。大寿は安堵感から思わず溜息を吐いた。過度の緊張から解き放たれ、入れ替わりで疲労感がずしりと肩にのしかかる。あの悪魔と八戒たちの間に出来た縁を早々に切らねばと新しい課題を脳味噌にメモをした。
 瞬きを何度かすると、いつもの礼拝堂だ。蝋燭なんてものは当然存在していない。領域から抜け出したようだ。大寿は礼拝堂から外へ出た。濃紺の空の縁が金色に色付いている。然程時間が経っていないと思っていたのに、領域の外側ではかなりの時間が経っていたようだ。シャワーでも浴びてから寝ようと大寿はゆっくりと居住スペ-スに向かう。
 扉を開き、リビングへ一度向かう。ソファに柚葉が座っていたのが見えた。柚葉の隣で八戒が口を開けて眠っている。二人の後ろに立っていた乾と九井が、大寿の姿を見て表情を柔らかくさせた。九井が柚葉たちを見て、苦笑しながら肩をすくませる。どうやら妥協案がそれだったようだ。柚葉が顔を上げる。立ち上がろうとして、隣に八戒がいるのを思い出したのか、中途半端に固まった後で座った。おかえり、と小さな声で言う。大寿はただいまと小さな声で返事をする。
 八戒が薄っすらと目を開いた。柚葉を見て、大寿を見て、ふへへと緊張感のない笑いを零す。何やら不明瞭なことを呟いた後、寝息が聞こえる。どうやら夢の世界へと発ったらしい。大寿は思わず小さく吹き出す。柚葉も緊張が解けたらしく、大寿と同じ蜂蜜色の目からぽろりと涙が零れた。

2023/10/09

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