ふかく永く愛を語る

 必死に祈ればやさしい何か――かみさまが、たすけてくれると信じていた。

 黒川イザナが母に捨てられたことを呑み込めたのは、母が連れ込んだ男に殴られて出来た痣がすっかり消えた頃だった。机の上やあちこちに散乱している菓子パンや惣菜パンの袋を拾い、開けてがつがつと食べる。口当たりがぱさぱさとして悪いが、空腹には耐えられない。半分ほど残して一気に食べてしまった。流しの近くに持って来た椅子に上り、コップに水を注いで飲み干す。窓の外で木々が紅葉し、葉を落としている。清潔とは言えない大人サイズの服に袖を通し、ぺたぺたと裸足でモノや埃、食べかす等が散乱している床を歩く。書物が集められている部屋について、イザナは自身が落ち着いていられる部屋だと認識している。
 扉を開けると埃っぽさのあまりにくしゃみをした。窓の開け方も解らない子供には、どうすることも出来ない。その隅っこにいるくすんだ金の毛むくじゃらに声をかける。

「イヌ、おい、起きろ」

 つつくとゆっくりと顔を上げた。夜色の目がイザナを見る。成犬の小型犬程度の大きさの犬だ。猫とは形が違うので、犬だとイザナは思っている。名前を付けることはせず、イヌと呼んでいるが、それを呼ぶと犬は嬉しそうに長い尻尾をゆらゆらと揺らす。あまり元気がないがいつもそうなのでそういうものだとイザナは思っている。
 母が男を連れ込んでいるときは大抵イザナは家から追い出された。家の裏側でじっと待つことが常だった。雨の降る日にイザナはイヌに出会った。ぐったりと倒れているそれは濡れていたこともあって今よりもずっとみすぼらしく見えた。イザナが触れると僅かに温かく、口許に手を差し出すと、弱ってはいるものの、ぺろりとイザナの手を一舐めする。イザナはイヌを抱き上げ、家でひっそりと飼うことにした。どうせ母は家のことに頓着しない。悲しいほどに興味が無かった。家の隅にあったぺちゃんこの座布団を沢山の書物が置いてある部屋に置いて、イヌの寝床とした。イザナは犬が何を食べるのか解らない。母が自分の姿を見ると不機嫌になるので、母が近寄らない書物がある部屋でずっと本にある挿絵を眺めて静かに息をしていた。イザナは平仮名くらいしか読み書きできない。読めない本も多くかはあった。イザナが気に入っているのは以前母が連れ込んだ男が持ってきていた本だ。その日は運悪く家を出そびれ、部屋の隅でじっとするしか出来なかった。その男はもう二度と見ていないが、悪魔を呼び出せれるのだ、誰かを生贄にして呼び出したら願いを叶えて貰って一生奴隷にしてやると母と楽し気に話していたのを覚えている。イザナは男の話している意味が解らなかったが、悪魔とは願いを叶えてくれる神様のようなものなのだとぼんやりと思った。母がいなくなってから、神様はいないことを実感してしまったが。
 イザナは持って来たパンをちぎり、イヌの口元へ持っていく。そうすると少しは食べてくれる。一口二口ほどでイヌは食べるのを辞める。イザナは残されたパンに齧りついて食べていく。食べ終えた後で、イザナは落ちている本を拾い上げる。布を貼られ、四隅と中央に金属で装飾が拵えられているそれはとても埃っぽく、昔のものだ。その本は横書きで文字が書かれているが、何と書いているのか読めない。

「なぁ、イヌ。オマエはアクマを呼び出せたら、どうする?」

 眠っているイヌにイザナは話しかける。イヌは耳をぴくりと動かしただけで大きな反応はない。オレは国を作りたいなぁ、と呟いた言葉は空気を小さく震わせた。本をぱたんと閉じて、近くに置く。イザナはくたびれきった長座布団に寝転がる。イザナは暗くなるとイヌに寄り添って眠る。どれほど寒くても、くっついて寝ていれば温かいことを知っている。今が何月何日かだなんて解らなくてもこれから次第に寒くなることをイザナは薄らぼんやりと認識していた。今年から一人と一匹なったが無事に冬を越せるのだろうかと一抹の不安を覚える。
 ふとしたとき、イザナは起き上がれないでいた。意識が朦朧とするし頭痛がする。イザナは熱を出していた。具合が悪いとは解ってもどうすれば良いのか処置方法も分からない。取り敢えず眠ることにした。瞼が一度降りると上げることも億劫だ。イヌがくぅん、くぅんと鳴いている。イザナは手を伸ばして、触れた。ぺろ、と熱い舌が手を舐める。イザナはそのまま意識を落とした。
 どれほど眠っていたのだろうか。ふとひやりとした手がイザナの額に触れたことで意識が浮上する。気持ちがいい、とぼんやりと思っているとその手はイザナの頬に触れる。はっと目が覚めた。昼の時刻なのか、すっかり部屋は明るい。身体を起こして、辺りを見渡す。くう、とお腹が鳴ったのでリビングにあるパンを食べに行こうと立ち上がりかけて、ぴたりと止まる。丁度枕元に、あんぱんとリンゴジュースと書かれた紙パックが置いてある。この部屋に未開封のパンを持ち込むことはなかった。それどころか、この家には紙パックのジュースなんてものも無かった。腹辺りが温かいなと思っていたら、イヌがいつものように身体を丸めて眠っている。
 寝惚けて持って来たのだろうかと思いながらも食事をする。ゴミを捨てるリビングへ向かう。イヌも気付いたのかのそのそと起き上がり、イザナについて行く。
 ゴミの山となっている箇所は小さなハエが絶えず飛んでいる。イザナはそこにゴミを置いた。ハエを潰すのも面倒になり、今は放置している。
 ふとばさりと重たいものが落ちる音がした。そちらを向けばお気に入りの本が開いた状態になっている。イザナは拾いに向かう。リビングに置いていたたっけと違和感に気付く。その文字が読めてしまった。ついこの間までさっぱり読めなかったのに、何と唱えれば良いのか、理解してしまった。識っている、と文字を指でなぞる。それから悪魔の契約がどんなものであるのかも、イザナは見て来たかのように理解できている。
 イザナは口を開く。イザナの口から、水の中で喋った様な音が出る。平常であれば出せない音だ。イザナは誰かの口や声帯を借りて読み上げている気持ちになる。何でも良かった、悪魔さえ召喚出来るのならば。
 文字を詠み終えた直後、風が嵐のように吹き荒れ本のページをめくっていく。あまりにも強いせいで、その辺に積んでいた洗濯物や皿、袋、空の空き瓶が風に煽られ空を舞う。落ちて割れた音が聞こえ、破片が飛びながらきらきらと光を反射させているのが見えた。イザナは足元に転がって来た、割れた空き瓶を握り締める。ずしりとしたそれは子供が持つにはかなり重い。
 風が次第に弱くなっていく。強く光が一瞬発せられた。直後に、頭から額へ、額から左目の下へ大きな傷跡のある男が立っていることに気付く。左目は薄い色、右目は赤色をしていた。

「――願いは?」

 降り立った悪魔が問う。イザナは辺りを見渡した。周りに飛散するガラスやゴミ、洗濯物などのせいで足の踏み場が無い。イザナの足元にいる、タオルに乗っかられたイヌが抗議のつもりかヒャンと情けない声を上げた。
 さて、世の中には自身がいるスペースを他人に踏み入られても然程気にしない人間と、縄張りに入られた獣のように激昂する人間とがいる。勿論その間はグラデーションとなっており千差万別だ。そして、生憎というべきかイザナは後者だった。
 イザナの口から本来であれば発音出来ない音が出る。床から勢いよく紐が飛び出、悪魔の動きを捉えた。悪魔は咄嗟に逃げることも出来ず、紐に縛られる。強い力で下へ引っ張られ、膝をついた。
 イザナは躊躇いなく、悪魔の頭に目掛けてガラス瓶を叩きつける。確かな手応えがあった。だが悪魔は驚愕の顔をするだけだ。再度、振り下ろす。子供の力でも、それなりに衝撃はあるらしい。

「鶴蝶、だったか?」

 イザナはなぜかその悪魔の名前を識っていた。これ以上何もない自身から何も奪われないようにするには、暴力で捩じ伏せれば良いことも経験上知っている。近くに落ちていた皿の破片を、自身の手が傷付くことも厭わずに持ち、悪魔の首筋に押し当てる。くっと力を込めて押し付けると赤い血のようなものがじわりと滲む。
 ヒャン、とイヌが何か主張しているが、大方タオルを退けろということだろうので、聞こえない振りをする。

「まずは片付けからだ」

 話はそれからだとイザナは悪魔に言い放った。

2023/09/26

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