ふかく永く愛を語る04

 イザナが悪魔たちを従えてから、十年と少し経った。肉付きも悪く、痩せた子供は今や一人の青年だ。蘭と竜胆のはたらきで金も十分持つようになり、郊外にて古民家を買った。イザナは喧嘩が頗る強く、容赦が無い。吹っ掛けられた喧嘩を片っ端から買い、時には悪魔を遣っていたからか、とうとうエクソシストの教団に目を付けられてしまった。ちなみにイザナはエサは自分で取って来いと命令しただけである。
 最初は封書が届いた。悪魔を従えているためにそのままでは悪魔崇拝者となること、神に全てを捧げ、悪魔を祓うためにエクソシストになるなら不問になることが書かれていた。イザナはその手紙を破り捨てた。イザナの世界に神などはいない。神がいれば幼い頃に空腹に苛まれることも寒さにかじかむことも捨てられた子供が放置されることも無いだろう。死にかけていた状況から救ったのは他でもない悪魔だけだった。
 足元にいた獅音がヒャン、と鳴く。コイツ、そういえば結局オレと契約してないなと思いながら金の毛をブラシで梳いてやる。イザナの日課の一つだ。嬉しそうに尻尾が揺れている。イザナはこの年になっても、所有物である獅音を誰かに触らせることを許さなかった。
 暫く封書が届いたが、内容はさして変わらなかった。三通目からはイザナは読まなくなった。読まれない手紙が片手で数えられなくなり、空に灰色の雲が覆うようになった。今年も寒いかもなどと悪魔たちが口々に話す。蘭は朝刊の上にある読まれない手紙を何の気無しに手に取る。蘭が軽く目を通して、ありゃ、と眉を潜めさせた。

「たーいしょ、そろそろヤバイんじゃない?」

 手紙を渡され、イザナはそれに目を通す。要するに、イザナを悪魔崇拝者として対処するとのことだった。

「予告か?」
「だろうね。大抵殴り込みに来るらしいじゃん。不意打ちもあるっぽいけど」

 ふぅんとイザナは相槌を打ちながら封筒にある消印日を見る。日付は昨日だ。いつ来るのか解らないが、早ければ明日にでも来るのだろう。待つのは得意じゃない。さっさと潰してしまいたい。こんなくだらないことに気を使うのも癪でしかない。

「蘭、教団のやつらが来るのを今夜にでも早めろ。場所は……そうだな、直ぐに処理できるところが良い。そこに誘え」
「りょーかぁい」

 ホントうちの大将って悪魔遣い荒いよねぇと軽口を叩きながらも楽しそうに笑う。蘭が呪文を呟く。空間に亀裂が入り、そこへ入り込んだ。イザナは窓の外を見る。どんよりと息苦しくなる色をした灰色の雲が空を埋め尽くしている。それを見ながらカウチに寝転び、うとうととする。今夜は教団の者たちを埠頭に誘き寄せ、潰す仕事だ。
 夜十時。コンテナが積み上がった埠頭は人の気配はない。冬の刺すような強い寒さの中、海だけが静かに唸っている。イザナは教団の人間たちと対峙していた。悪魔崇拝者一人、悪魔五体、犬一匹。それに対して教団の人数は両手両足で数えても足りないほどだ。

「獅音ちゃんは大将の所にちゃんといるんだよ」

 離れちゃダメだからねと蘭が獅音の頭をわしわしと撫でる。イザナに蹴飛ばされそうになり、慌てて飛び退いた。獅音はそそくさとイザナの後ろに隠れ、尻尾をぴんと立てながら教団の人間たちを睨む。

「さて、イザナ。オレたちに何を望む?」

 武藤が静かな声で問う。イザナは瞼を下ろす。潮のにおいが鼻先まで漂う。それに混じって、嗅ぎ慣れない人のにおいがする。ゆっくりと瞼を開ける。イザナの淡い紫の目が、ゆらりと揺れる炎に見えた。イザナがゆっくりとリーダー格らしい男を指で示す。

「……あいつらを蹴散らせ。魂も肉体も好きにしろ」
「りょーかぁい」
「承知した」

 人の形をした悪魔たちは各々返事をするとともに飛び出した。
 少数精鋭と有象無象とでは勝負にならない。イザナはエクソシストを一方的に殴りながらこんなもんかとさえ思えた。他の悪魔たちも赤子の手をひねるような力量差だ。蘭が三段式の特殊警棒を持って剣を持っているエクソシストを嬲っている。武藤だって彼自身と似たような体格のエクソシストを頭上よりも高く持ち上げ、床に叩きつけている。他の者も似たようなものだ。鶴蝶は素早く無駄のない動きで次々ととしている。そういえば幼いときに勉強よりも喧嘩のほうがとても得意と言っていたなと思い出す。望月がエクソシスト二人の頭をそれぞれの手で掴み、額同士をぶつけさせた。あふ、とイザナは欠伸をする。たったこれだけの力しかないのに、自身の居場所を取り上げようとしたのかと思えば怒りよりも呆れが勝る。その次に来るのは侮蔑だ。
 そんなおり、ボロボロになりながらも一人のエクソシストがイザナの方を見た。骨や歯でも折れたのか、鼻や口からだらだらと血を流している。その男の手には、拳銃が握られている。

「死ね! 悪魔崇拝者め!」

 発砲音が連続して数発響き渡る。
――間に合わない!
 誰もが絶望に歯を立てられた瞬間、イザナの前に躍り出た影がいた。ひょろりとした印象のある背格好だ。左半分はスキンヘッドにしており、もう半分は柔らかそうな、淡い金色をした髪が伸ばされている。イザナは初めて見る男だ。それでも、その男が誰であるか、知っていた。

「――獅音!」

 イザナが手を伸ばし、獅音の身体を受け止める。銃を撃った人間が武藤に投げられた。嫌な音と呻くような悲鳴が響く。
 獅音はイザナを見て、血塗れの口で安心したようにへらりと笑う。イザナは薄紫の眼球が落ちそうなほど目を見開いている。浅い呼吸を繰り返し、だた見るしかできない。

「イザナ……へへ、無事で、良かっ……」

 げほげほと獅音は咳き込んだ。撃たれたところから、口から血液みたいに赤く、ぬるりとした液体が溢れる。
 イザナは獅音の身体を支えた。譫言のように、何度も名前を口にして、意識をはっきりとさせるために身体を揺する。
 獅音は人間のことはあまり解らない。それでも、この温かな子供が育つ為には、自分では出来ないことを理解している。だから、少ない魔力を使って、本を落とした。だから、少ない魔力を使って、イザナが呪文を読めるようにした。だから、自分を媒介として、知り合いの悪魔を喚んだ。
 多数の悪魔と契約した人間など、そう長くは生きられないことを知っている。だから、獅音は契約しなかった。少しでも長く生きて欲しかった。獅音は人間界へ降りたその日に運悪くエクソシストに見つかり、殺されそうになった。人型も取れず犬のような姿でいた獅音に初めて温かな寝床を与えてくれた人間を、足りないであろうパンを分け与えくれた人間を、人として生かしてやりたかった。そして獅音はこの人について行こうと強く心に決めた。いつか彼の右腕になれるようにと願いながらずっと側にいた。

「獅音! しっかりしろ!」

 イザナの声が震えている。イザナの腕が獅音を掻き抱く。誰にも取られないように、手から逃げ出されないように、零れ落ちてしまわないように。ああ、と絶望に塗れた声がイザナの口からぼたぼたと落ちる。

「契約しろ! 獅音!!」

 どこにも行くな、と泣き喚く人の子を慰めてやりたいのに、腕を動かせない。ぽたぽたと頬に落ちる温かな涙を感じて、いつかイザナはオレを捨てるのだから、別に泣くことじゃないだろと獅音は思った。
 エクソシストが二人に向かって刃物を振り上げる。武藤が素早く男の腕を掴み、ひねり上げ、一本背負いをした。
 その向こう側で珍しく焦りを表情に出した蘭が自身の親指の腹を噛み、滲んだ体液で彼自身の腕の内側の手首から肘へと線を引いている。本来人間では発することの出来ない音を紡いでいる。兄弟悪魔が得意とする、術式だとイザナは気付いた。鶴蝶や武藤、望月はその要である二人とイザナたちを庇いながらエクソシストたちと戦闘を繰り広げている。イザナ、と焦燥しきった顔の竜胆が叫んだ。竜胆は親指の腹を噛んで、イザナの近くにバツ印を描いた。

「オレたちと契約して! 獅音センパイ、多分契約する気力が無いから!」

 返事を聞く前にバツ印を中心に魔法陣が広がる。イザナはいつか見た時計を思い出した。長針は反時計回りに、短針は時計回りに回っている。以前見たものよりも何かが違っていたが、それどころではない。イザナは弱りきった獅音の身体をきつく抱きしめる。

「オレが持っているものを全部やる! だから……っ、獅音を助けろ!」
「――りょーかいっ!」

 イザナの頬から溢れた涙が魔法陣に墜落した。瞬間に眩い程の光が魔法陣から放たれる。エクソシストたちが苦しみ藻掻き始める。いやだぁと泣き叫ぶ声は次第に意味のない音となり直に聞こえなくなった。目が眩むほどの強い光が埠頭を包む。イザナは動けない獅音を庇うように抱きしめた。
 光が弱まり、イザナは目を開いた。雪がちらついていることに気付く。獅音の傷が塞がっている。聞き逃してしまいそうなほど、弱々しくも寝息を立てているが、顔色は先程よりも悪くない。

「暫く獅音は安静だな」

 そのまま寝かせりゃ良いと望月がイザナに話しかける。そのまま獅音を預かろうかと提案したが、イザナは子供みたいに無言で首を横に振る。
 蘭と竜胆は疲れたのかその場に座り込んでいた。良かった、と竜胆が安堵に染まった声を上げて、ぽふん、と気の抜けた音と煙と共に二人は猫のような姿になった。鶴蝶が驚きながらも二人を抱き上げる。限界まで力を使ったのだろう、よく眠っている。
 武藤は指を鳴らした。海から水が這い上がり、コンクリートに残る血液などの痕跡を消していく。水の塊が上がったときよりもくすんだ色で海へと帰った。残ってしまった肉片などもやがて魚の餌となるのだろう。
 埠頭には一人の悪魔使いと、六体の悪魔だけが存在していた。イザナは立ち上がり、少しだけ悩んだ末に自分よりかなり背丈のある獅音を背負う。犬の姿の時よりも確かな重みがある。

「……帰るぞ」

 それだけを告げて、イザナはゆっくりと歩き出した。

2023/10/13

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