ハッピーエンドの毎日

!和解直後
!一郎が二次創作するタイプ

 ホテルの中にあるラウンジで一郎はぼんやりとしていた。ドリンクバーで入れたコーラがシュワシュワと二酸化炭素を吐き出している。静かなピアノの曲が流れている空間は人が殆どいない。二郎も三郎も他のディビジョンのメンバーたちと話したり一人で過ごしたりと思い思いにしているらしい。一郎は久し振りに頭を空っぽにしたような気持ちになる。
 数分前に空却と話をしたばかりだった。話というより突然殴りかかれ、一郎は咄嗟にその拳を受け止めて距離を取った。すると空却はなぜかスッキリした顔をして何も言わずに去ろうとする。去っていく背中に気に食わないところとかあるなら、と自ら思い描く男らしさというものから遠い言葉をぶつければ、空却は振り返った。怪訝そうに顔を顰めさせ、ンなのねぇわと答えたのだった。一郎はその言葉に少しだけ淀んで見えた世界が明るく見えた。気にしまいと目を避け続けていた懸念は一郎自身が思っていたよりもずっと自身を蝕んでいたらしい。良かった、と安堵感から溜息とともに吐き出す。真っ直ぐと見た空却は昔と変わらないからりとした男で、昔と比べて少しだけ丸くなったように思える。空却は少し考えるような顔をして、ラノベ語るときの早口と意見のぶつけ方は考えた方が良いとだけ言った。そう言う所が笑ってしまいそうなほど昔と地続きで、一郎はそう言う所だぞと溜息を吐いた。心はどこか晴れやかだった。
 空却はふらりと何処かへと行ってしまった。恐らく日当たりの良いところでも探したのだろう。一郎は何となく誰かと話したい気持ちがしてラウンジにいた。今までの確執が何だか酷く直視できないでいる。一郎は行儀悪くもテーブルに伏せた。左馬刻の性格を考えれば直ぐに理解できる筈だった。左馬刻の世界の中心にはいつだって妹の合歓がいた。それを一郎は側でずっと見て来た筈だった。
 ふと隣に誰か座った。顔を上げると昔と変わらない笑顔を浮かべている簓と目が合う。起きてもた、と聞かれたので一郎は首を横に振る。別に、寝てた訳じゃないんでと言うと良かったぁとにかりと笑う。昔と変わらない笑い方に、一郎は少しだけほっとする。
 あっち座らん? ちょっと話したいんやけどと簓が四人座れるソファ席を指で示す。もちろんですと一郎は答えてコーラと一緒にソファ席へと移動した。簓の前には水の入ったグラスがある。なんとなくぎこちない。今までどんな会話をしていたのか思い出せない。

「せやせや、俺あのあとなぁ、一郎が勧めてくれたラノベ読んでん。ええと、最近ゲームにもなっとるやつ」
「運命シリーズですか!?」

 一郎は思わず立ち上がった。慌てて座り直す。
 運命シリーズというのは、ライトノベル業界ではかなり大きなジャンルだ。元々はアダルトゲームだが、色々な派生物語がある。単独でも勿論楽しめるがすべて追いかければ更に考察などが深まる。ジャンル自体の歴史も長く、ファンも性別問わずかなり多い。最近ソーシャルゲームの展開をしたりメディア化があったりしたために界隈全体が盛り上がり、SNSなどでもファンアートで溢れている。一郎もそのファンアートを投稿している一人だ。ちょっとしたお礼でペンタブレットを貰ったことをきっかけにそうなった。ちなみに数ヶ月先にあるイベントに何度目かのサークル参加を申し込み済みである。
 一郎は簓が読んだという運命シリーズの話を聞いたり語ったりした。一郎は今は別のシリーズを追いかけているが改めて読み直すのも良いかもしれない。ありがとうございます、と一郎は簓に礼を言う。簓は一郎の勢いに圧倒されたのか、元気そうで良かったわと少し引き気味に笑った。

「……に、しても一郎詳しいなぁ」
「まぁファンなんで」
「へぇ、ええこっちゃ。オススメあったらまた教えてか?」

 勿論ですと一郎は返す。簓の何でも触れてみて寄り添ってくれる姿勢は昔から心地良い。

「空却とは話せたか?」
「ええ、まぁ……話せたというか……」

 よく解らないと素直に言えば簓はどういうこと、お兄さんに話してみィと座り直した。一郎は先程あったことを素直に話した。簓は静かに聞いている。一郎の口はぽろぽろと音を紡いでいく。普段であれば一郎が言うことをためらうような、自分の感情に極近い所から見えた部分を簓の相槌は上手く引き出させる。例えば一郎自身が隠してしまいたいものすらも全てこの人になら聞いて欲しいと思ってしまうほどだ。ほどなくして一郎は全て話した。

「……ということでして」
「はは、空却らしいなぁ。んふふ、良かったやん」

 ほんまアイツらしいやん、と簓は歌うように言いながら、水を一口飲んでいる。一郎もコーラを口にした。簓は何処か安心したように笑っている。一郎は今一度その理由が解らない。まあ、簓さんがそういう反応なら悪いことじゃないんだろうなと一郎は少しだけほっとする。

「俺もなぁ、左馬刻探しとんやけど中々会わんで」
「そう、なんですか」
「そ。良かったら一郎もどない? アイツに話したいこととかあるんちゃう、」

 突然一郎の隣に誰かが勢いよく座った。簓の言葉が不自然に途切れる。煙草と香水の香りが鼻腔をくすぐる。一郎も簓も固まった。そこには左馬刻が座っていたからだ。一郎は珍しいと驚いた。普段、左馬刻は簓の隣に座るのが常だった。

「左馬刻やん、久し振りやなぁ」

 さっき噂しとってんと話す簓の声はいつもと変わらない。左馬刻は簓を真っ直ぐと睨みつけている。左馬刻から発される殺気に似たもので空気が張り詰め、一郎までもが緊張してしまう。その中で簓だけがへらへらと笑っている。彼の纏う空気だけは死や暴力などから程遠くかけ離れた、春の野のように柔らかなものだ。
 昔から簓はそうだった。氾濫した川でも強く逆らうこともせずに流れに身を任せる植物のように、何処か掴みどころがないのにしっかりとした自己がある。腕っ節こそは一郎たちの方が強かったが、争いを避けて交渉や話術、ハッタリで場を収めることも強さなのだろうと一郎は今なら昔よりもずっと理解を深めることができた。尤も大抵痺れを切らした空却が飛び出し左馬刻が滅茶苦茶にし一郎も追随していたので、簓が考えていた丸く収めることは圧倒的に少なかった記憶はある。勿論その後は簓にこっ酷く叱られた。一郎はともかく空却と左馬刻は全くどこ吹く風というようだったが。

「本当は、気に食わなかったんじゃねぇのか」

 左馬刻の静かな言葉に一郎と簓は顔を見合わせる。左馬刻の視線は簓を向いているから、簓に対して投げた言葉なのだろう。突拍子も脈絡もなく、理解が追い付かない。それは簓も同じようだった。

「ごめんけど、何の話?」

 簓が左馬刻の顔を覗き込む。左馬刻が口を開いて、すぐに閉じる。赤い眼が僅かに揺れた。洗脳される前、と言葉が小さく落ちる。んぇ、と簓が口を僅かに開かせ間抜けな音を出す。左馬刻が舌打ちを鋭く打った。
 一郎はただ一人、逃げ遅れたことに気付いた。左馬刻が通路側に座っているために一郎はこの空間から脱することは許されない。どう考えても二人の話だから、いなくても良い、というよりいない方が良いのではと思った。だが今更左馬刻にどいてくれとは言えない。一郎が出来たことは努めて静かに呼吸を繰り返し、ソファに付随している備品にでもなった気持ちになることだ。
 あぁ、と簓は納得したような声を出す。んー、と言いながら自身の頬をぽりぽりと掻いている。

「確かに、お前は目つきも悪いし、」
「ヒッ!」
「口も悪いし、態度も悪いしついでに頭も悪い」

 一郎の喉で鋭く空気が通り過ぎる。肌がピリピリとして落ち着けない。見えない手に心臓を握り締められている。簓は気にせずに言葉を軽やかに紡いでいる。一郎は左馬刻の隣りにいながらひやひやとしていた。
 もしも自分だったら口も、と言いかけたところで殴られていただろう。殴られるならまだ良いほうだ。あるいは机に頭蓋が叩きつけられる音を響かせていた。昔そうやって目上の人に対する接し方を躾けられた記憶がある。勿論効果は一郎にとって覿面だった。現に左馬刻の目が鋭く、見るもの全てを八つ裂きにせんばかりの刃物だ。だが、彼女の身体が動くことはない。どうやら最後まで簓の話を聞くつもりのようだった。
 でも、と簓は言葉を続ける。

「オレは左馬刻の、一度懐に入れた仲間を大事にする所、そこが好きやなぁ」

 左馬刻がゆっくりと瞬きをする。何か照れくさいなぁと簓は困ったように眉尻を下げさせる。数拍後で左馬刻の赤い目に星が瞬いたのが一郎から見えた。左馬刻の纏っていた空気が和らぐ。一郎は軽くなった空気を一気に吸った。
 簓は全く気付いていないのか気にしていないのか、けらけらと笑う。ま、俺は左馬刻の気に食わん所なんか特に思いつかんかなぁと軽い調子で話している。一口ほどの水が入ったグラスを口にして飲み干した。プラスチック製のコップが机に置かれ、こん、と小気味良い音を響かせる。

「……そーかよ」

 左馬刻が呟いた。その声は僅かに柔らかい響きだ。一郎はほっと息を吐いた。
 飲み物取ってくる、と左馬刻は一旦ドリンクバーへと席を立つ。一郎と簓はその背中を見送る。くるりと簓が一郎を見た。元々の笑い顔が一層愉快そうに見えた。

「アイツ、気にしとったんやな」
「そう、みたいっすね」
「可愛いとこあるやんかぁ」

 くすくすと簓が楽しげに笑う。やっぱり自分はいない方が良かったのではと一郎は疑問符を浮かべさせる。

「せや、このあと空却探しに行く?」

 俺付き合うで、と簓が言う。確かに一人よりも誰か、特に嘗て頼りにしていた人がいるのは心強い。けれどももしかしたら簓と左馬刻は二人の間で話したいことがあるかもしれない。そう返答に悩んでいるうちに左馬刻が戻ってきた。ただし、簓の隣に。

「えっ?」

 一郎と簓の声が重なった。二人の視線は左馬刻に注がれる。赤い眼が簓を一瞥する。

「んだよ」
「ああ、いや、こっち座るんや思て」

 さっきまで一郎ンとこやったやんと簓が言うと、どうだって良いだろと切り捨てられている。簓はぽかんとした顔で一郎に視線をやった。一郎も同じ表情をしている。一郎は理解できないと言葉にする代わりに首をぎこちなく横に振る。
 左馬刻が氷とメロンソーダが満たされたグラスを簓の前に置いた。おおきに、と簓は明るい調子で受け取る。丁寧に挿されているストローを口に含み、簓はメロンソーダを飲む。ん、と気付いたような反応をして、簓は左馬刻をパッと見る。

「えーっ、何? 遠慮しとったん?」

 ホンマかわいいとこあるやぁんと簓が高い声で笑う。簓が左馬刻の肩を組もうとした。だが左馬刻が簓の腕を鬱陶しそうな顔で払う。簓は気にしていないのか口元に手をやりにまにまと笑っている。

「俺、左馬刻のこと好きやで」
「俺様はキライ」

 えっ、と一郎と簓の声が再び重なる。

「簓のこと、好きじゃねぇ」
「つれへんやっちゃなぁ」

 ま、自分らしいわと簓は然程気にしていない声で言う。
 一郎はそれどころではなかった。思わず胸元を押さえ、はぅ、と声を漏らす。漏れた声は二人には届いていない。それ、目茶苦茶好きってことではと口が裂けても言葉に出来ない。そんなことを聞いてしまえば、それこそ自身の頭蓋がへこまんばかりに硬いものにぶつかるときの音を聞くある意味貴重な体験をしてしまうかもしれない。もうそんな体験は懲り懲りだ。一郎はぎぅと目をきつく瞑る。
 こんな可愛い所を見せられてうっかり分厚い本が出来てしまいそうだ。出す新刊の種数が増えてしまう。いや今なら間に合うかと貴重な脳のリソースの大半を趣味に充てがった為に、簓の空却探しに行くんやんなぁと尋ねた言葉に反応が遅れた。

2024/03/26

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