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TEMPORARY

一時的な置き場

理想狂とカタストロフィ4


 あれから数週間程が経った。稀咲の口からマイキーが大寿を引き入れることに決めた、という話は聞いていない。結局流れたのか、期を見ているのかどちらかは解らないが取り敢えず良かったと三ツ谷は小さく息を吐いた。八戒も三ツ谷の言いつけを守ったのか柚葉も平常通りだった。頼んでいた仕事の報告を聞きながら、大寿によく似た目をじっと見る。視線に気付いた柚葉に何、と尋ねられ、何でもないと三ツ谷は無感情に返した。
 どこまでも退屈で現実味のない報告を聞いて三ツ谷は息を吐く。窓の外を見るとからりとして天気が酷く良い。丁度飛行機が横切るところだ。白い線が不平等に空を切り分ける。別の部下から渡された書類にある前月までの損益に書いてある数字の下三桁がゾロ目だった。今夜、三ツ谷は大寿といつものように顔を合わせ、何でもない話をする。三ツ谷は決行するなら今夜しかないなとぼんやりと意思を固めさせた。
 大寿の店はいつもと同じだった。水槽でゆったりと泳ぐサメ。下から立ち昇る水泡がライトの光を反射させてきらきらとさせている。緊張と期待とで何の味もしないコーヒーを啜りながら、三ツ谷はいつものように話す。大寿は神妙そうな顔をして三ツ谷の話に耳を傾けさせる。それが酷くおかしくて笑ってしまいそうだ。
 短針が天辺の少しを超えた頃、大寿はいつものように腕時計を見る。いつもであれば三ツ谷は寂しいような詰まらないような気持ちになれた。大寿が見ている時計が壊れていれば良いと何度思っただろうか。だが、今はそういった感情はどこにもない。そろそろかな、なんて、子供の頃に楽しみにしていた番組や、いつか食べたクレープ屋で順番を待つような気持ちに笑いたくなるほどによく似ていた。

「そろそろお開き?」

 そうだな、と大寿が呟く。いつものように三ツ谷は荷物を手に取り、出口へと向かう。大寿もいつもと同じように扉の方へと向かった。三ツ谷は一度店の外に出た。大寿は空を見る。月の浮かんでいない夜空は小さな針で穴を開けたような星が疎らにある。街灯が明るすぎるせいで星々がよく観察できないことを三ツ谷はぼんやりと思い出しながら、ジャケットの内ポケットに入れてあった銃に触れる。爪先が硬くて冷たい感覚をとらえた。三ツ谷は大寿から視線を外さない。大寿は全く別の方向を見ている。数ヶ月前に打ち抜いた人の頭を思い出す。淀んだ両目は三ツ谷をじっと見ていた。

「じゃ、大寿くんも一緒に帰ろっか」

 素早く銃を取り出し、冷たい銃口を大寿の額に標準を合わせる。大寿は目を見開いた。直ぐに状況を理解したのか、眼光が鋭くなった。三ツ谷はいつものような笑みを浮かべさせている。

「テメェ……!」

 大寿の唇が戦慄く。握り締められた大寿の拳を見て、三ツ谷は僅かに首を傾げさせる。何、と三ツ谷が吐いた言葉は、三ツ谷に自身の母親を思い出させた。こちらの言い分を聞かずに、妹たちに何かあれば聞いたどこか一方的に責めるような響き。子供の頃によく聞いた声色だ。この世界に身を落としてそれなりになるというのに、常に母親がそうだった訳でないことを知っているのに、未だ三ツ谷の脳味噌の裏側をかりかりと引っ搔いている。
 三ツ谷は肺に溜まった息を吐く。淀んだ空気は新鮮な空気とゆるりと混ざりあい、ほどけさせていく。三ツ谷が思っていた通り、大寿にとって銃は脅しにならない。こんな所で発砲したところでどうにもならないことを理解している。サイレンサーを着けているとはいえ、無駄に発砲して誰かが来ても厄介であるし回り回って誰かの耳に入ればどうしようもない。

「大寿くんに良い事教えたげようか? 柚葉や八戒って、今頃オレの部下が面倒看てるんだよね」

 大寿がはっと表情を硬くさせた。眉間に皺を寄せさせ、唇が僅かに開いては閉じる。大寿の顔から血の気が薄暗い室内でも判るくらいに引いていた。
 酷い取引だと三ツ谷自身でも思う。取引の際に最初から最強のカードを切るものではないことは熟知している。大寿が歯軋りをする。右の拳を解いては握り、握っては解くことを繰り返させている。愛する妹と弟の身の安全と自身とを天秤にかけているのだろう。彼が持つ利発な脳味噌はあらゆる可能性を絞り出し、どのような結末を辿るのかシミュレーションを繰り返しているのだろう。いずれにしても最悪の結末を描いているのだろう。大寿の額に丸い汗が浮かび、重力に従い、鼻の側を伝い落ちる。金の目が小刻みに揺れている。三ツ谷は大寿の回答をじっと待った。これは大寿自身に選ばせなければ意味がない。三ツ谷が勝手に大寿をどうのこうのしたではいけない。複数ある選択肢から、大寿が理解して自分の意思で納得して選んでくれなければ意味がない。
 もしも大寿が自身を優先させるならば三ツ谷は彼の目の前で可愛い弟分をどうしてやろうかと考えていた。顔立ちの美しい二人を醜い欲望で彩られた目で見る輩が存在することを三ツ谷は知っている。大寿の目の前で他の人たちそうしたように回してやれば、大寿は否が応でも頷き、喜んで三ツ谷の提示した選択肢に喜んで飛びつくだろう。可愛い妹や弟がそんな惨い目に遭うことを大寿はきっと世界で一番望んでいないはずだ。そして、大寿の優秀な脳味噌は三ツ谷にその選択肢があることと、三ツ谷は簡単にその選択肢を選べることを理解している。

「……二人には、手を出すな」

 長い沈黙のあとで、大寿の声がポツリと落ちる。三ツ谷は判りやすく口元に弧を描かせる。

「流石大寿くん。理解が早くて本当に助かるよ」

 大寿は舌打ちを鋭く打っただけだ。三ツ谷は気にする素振りすらも見せない。大寿は明確な反抗をすることはしない。研ぎ澄まされたナイフのような視線が三ツ谷の首筋を睨め付ける。三ツ谷はからりとした笑みを浮かべさせた。それと同時に三ツ谷は馬鹿だな、と冷めた目で大寿を見ていた。柚葉も八戒も確かに肉体的には健康で生きている。だが、大寿はその情報を三ツ谷を通じてしか聞けていない。もしも三ツ谷の言ったことが嘘だった場合、大寿はいもしない妹や弟たちのために自身を投げ打っていることになる。史上最悪と呼ばれる愚連隊の幹部のことをどうして信じられるのか三ツ谷は理解できない。
 三ツ谷は銃をジャケットの内側にあるホルスターに戻す。携帯を取り出して部下の一人に電話をした。暫くして高級車が大寿の店の前に到着する。三ツ谷はドアを開けて恭しく大寿を案内する。大寿は舌打ちをして自ら車に乗り込む。三ツ谷も車に乗り、運転手に自身が住んでいる一つの住所を告げた。車は滑らかに走り出す。 運転している男は乾の部下だ。三ツ谷が大寿と定期的に会う前に、三ツ谷の前で間の抜けた失敗をしたのだ。それを弱みとして握られ、男は三ツ谷のいうことを聞くしかない。もともと男は大寿を監視することが仕事の一つだったらしい。三ツ谷がその男に、三ツ谷が大寿と密かに会っていることを誰にも言うなと口止めをした。だから乾も九井も三ツ谷が大寿と会っていることを知らないままだ。憐れな男は上司と上司の犬猿の仲である男と板挟みになり、彼自身の中で造られた一番ましな道を歩かされている。三ツ谷にとって最良の道で、乾や九井たちにとって致命的な道だ。
 三ツ谷は隣にいる大寿をじっと見る。大寿は流れ行く景色をぼんやりと眺めているようだ。何を考えているのかは三ツ谷は察することもできない。愛する妹や弟のこと、自身がオーナーとして経営しているレストランのことだろうか。三ツ谷にとって大寿が何を考えていようがどうでも良かった。頭の良い大寿は反抗も抵抗もしないだろうと楽観的に見えて実に客観的な真実が三ツ谷の気分を愉快にさせる。女を抱いたときよりも高い酒を飲んだ時よりもずっと充足感のようなものがひたひたと心に満ちていく。爆音を響かせるバイクが車を追い越した。真っ赤なラインが引かれ、一瞬で消える。ふと中学生の頃を思い出した。本当に欲しかったものは何だったろうかと何でもなく、何にもならない疑問がぽかんと浮かび上がり、ぱちんと音を立てて砕けて消えた。
みつたい