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TEMPORARY

一時的な置き場

理想狂とカタストロフィ6


 八戒はぼんやりと窓の外を見た。切り取られた空は何処か鬱蒼として息が詰まりそうだ。ふう、と息を吐いた。
 今朝テレビでちらりと見た、ある経営者が行方不明となったニュースを思い出す。水族館のようなレストランと雑誌で何度か見たことのある建物が映された瞬間、八戒は殆ど反射的に机上にあったリモコンを掴んでボタンを押した。テレビは画面に何も映し出すことはせず、黙り込んだ。八戒はそろそろと向かいに座っている柚葉の顔色を伺う。初めて東京卍會の仕事を終えたときと同じかそれ以上に酷い物だった。彼女は食事をする手を止めて、兄と良く似た金の目に鋭い殺意を灯らせてぎらつかせていた。無言で二人は仕事へと向かう。与えられたフロント企業へ着いたあと、柚葉は一人で向かった。八戒はその背中を見送った。一番動きたいのは自分であるにも関わらず、あんまり暴走していなければ良いけれど、と八戒は姉を心配する。
 あの時――大寿が出て行った日の空を思い出す。聖夜決戦と呼ばれた抗争から、いや、それよりも、ずっと昔から兄とまともに話すことは出来なかった。物心が着く前はきっと優しい兄だったのだろうと実家にあったアルバムを見て何となく推測することはできる。兄があんな風になったのも、何となく理解は出来る。最後に話したのは、東京卍會で生きて行くことを報告しに行った時だ。八戒が話すと大寿は八戒の頬を平手で殴った。歯を食いしばり、睨み付ける兄の感情は何も解らない。悔しいのか、恥ずかしいのか、鬱陶しいのか、八戒には解らない。だから八戒はごめんとだけ告げて部屋を出た。柚葉はその少し後に出てきた。きっと二人で何か話していたのだろう。八戒は大寿と連絡を取ることはなかったが、柚葉は大寿と連絡を取っているのかと思えることがそれなりにあった。自身と比べて年の近い兄妹だから、色々話すことがあるのかもしれない。八戒は柚葉に何を話していたのか聞かなかった。聞いてしまえば決心が揺らぐ予感がしていたのだ。
 八戒は休憩がてらに廊下にある自販機でカフェオレを買った。温かいカフェオレを飲み、一息をついて柚葉から何か連絡はないかと携帯電話を見る。着信履歴には見慣れた番号のみだ。電話帳を開き、そこに登録だけした番号は消せないままだ。何度かかけようとして、その度にやめた。どう考えても犯罪だろと思えることをした日も初めて人を殺した日もかけようとしてかけられなかった。八戒は三ツ谷と同じように家族との関りを絶った。たまたま手に取った雑誌に兄の功績が載っていたときは元気なんだ、と安心した。雑誌を一冊購入して柚葉にも見せた。元気そうで良かったね、と二人で話していた。大寿に危害が及ばないように距離を取った。その筈なのに、大寿が行方不明になった。大寿だと確定はしていない。それにただの一般人がしたことかもしれない。普段楽観的に物を見る傾向にある八戒だが、この時ばかりはどうしても悪い方向へと考えが転がって行ってしまう。あの兄貴が誰かに言われて従うはずがないだろと素直に思う。
 柴さん、と誰かが名前を呼んだ。八戒は我に返り、そちらを見る。部下の一人がどこか居心地の悪そうな顔をしている。どうしたと聞けば、視線を通路の先へとやった。八戒もつられて通路の先を見る。乾と九井が怒りに染まった顔をしたまま八戒に近付いて来るのが見えた。阻止しようとした八戒の部下が九井に突き飛ばされる。八戒は不愉快さを顕わにした。いくら主に稼いでいるとはいえ、そうされる筋合いは何処にもない。

「話があるから顔を貸せ」

 乾の敵意に染まった目を八戒は睨み返す。どこまでも不愉快な言い方だが、断ることはできない。八戒は部下に、二人と話すからと告げて近くにあった部屋に入った。途端、乾が八戒の胸倉を掴み、壁に勢いよく押し付けた。背中を強かに打ち付け、喉が乾の手で圧迫され八戒は呻く。

「テメェ、何考えてんだ!」

 乾が強い声で言った。何のことか解らず八戒は瞬きを繰り返す。

「ってェな……何しやがんだ!」

 乾の手を掴み無理矢理引き剝がす。八戒は自身の喉を掌でさすりながら乾を睨み付ける。

「しらばっくれんじゃねぇぞ! よくもまぁぬけぬけと大寿を巻き込みやがって!」

 アイツはカタギだろがと乾が強い口調のまま吐き捨てる。八戒は耳を疑った。この場で一番聞きたくない単語が聞こえたのだ。今朝見たニュースが脳裏に過る。あれはやはり大寿のことだったのか、と八戒の胸にフォークの形をした絶望が突き立てられる。高い耳鳴りが響く。覚束なくなる足にぐっと力を入れて乾を見る。八戒は自身の頭が兄と比べて良くないことを知っている。だからこそ、自分の中にある事実が間違いであると、嘘であると信じたかった。

「兄貴を巻き込みやがって……? どういうこと? 兄貴はオレたちと、ずっと無関係じゃないの?」

 矢継ぎ早に飛んできた八戒の言葉に乾は片眉をぴくりと跳ねさせた。何とぼけてンだと乾が今度は腕を八戒の首に押し当て、壁に押し付けさせる。きつく喉を圧迫され一瞬呼吸が出来なくなる。九井が舌打ちを打った。そちらを見れば蟀谷に青筋が浮かんでいる。知らねェのかよ、と地を這うような声が聞こえた。八戒は乾の腕をでたらめに引っ掻きながら知るわけないだろと叫んだ。乾が急に腕を離す。急に新鮮な酸素が肺に入ったため、八戒は膝を着き、何度も咳き込んだ。

「テメェの兄貴分が大寿に手ェ出しやがったんだよ」

 顔を上げると九井が冷たい目で八戒を睨み付けていた。八戒は九井の言葉が直ぐに理解できなかった。兄貴分と聞いて三ツ谷の顔が過る。信頼して信用して全て預けてしまっても良いと思えるほどの男だ。だから、大寿はカタギだから手を出さないでとお願いしたのだ。昔から義侠心のある三ツ谷なら理解してくれると信じていた。そりゃそうだなって同意してくれていた。

「タカちゃんが? 嘘、」

 反射的に八戒は呟いた。嘘だろ、と口角が歪に上がる。乾も九井も何も言わない。八戒は首を何度も横に振る。嘘言うなよと喉が張り裂けんばかりの声が弾き出された。そんな筈がない。三ツ谷がわざわざカタギである大寿に接触する利点なんて何処にもないと八戒は信じている。信じているけれども、二人の反応が八戒にそうではないと雄弁に語っている。三ツ谷が関与していることは認めたくない。けれどそういう情報が出ていることがある事実は認めなければならない。真実かどうかは本人に聞けば、答えてくれるだろう。二人が嘘をついていれば、三ツ谷は否定するはずだ。
 八戒はゆっくりと立ち上がった。三ツ谷に直ぐに聞かなければならない。脳味噌の内側で三ツ谷の今日の予定を思い出す。午前中はどこか出張だと言っていたが幹部会があるから午後には帰ってくるはずだ。柚葉は今日はずっと外の予定だ。この情報は誰にも言うことはできない。柚葉の耳に届けばほぼ間違いなく自身たちが所属しているグループは崩壊目前だ。これが稀咲の策だったら本当によく考えられている。

「アイツ、オレの部下を金で買いやがった」

 定期的に三ツ谷は大寿と会っていたらしいと乾が低い声で言う。いつから、と八戒は努めて平坦な声で尋ねた。数年以上も前からだと聞いて八戒は息を呑む。自分と度々兄の話題が出ていたのに、と叫びたい衝動をぐっと抑えつける。頭を叩かれたときみたいにぐらぐらとする。揺らぎかけた地面をぐっと強く踏み、自身の足に床を意識させる。

「オマエは噛んでないみたいだな」

 邪魔したなと乾は九井と共に出て行った。
 残された八戒はその場にへたり込む。信じたくないことが頭の中で楽しそうに跳ね回っている。八戒は悪夢を頭から追い出したくて、頭を振る。心臓がどくどくと脈拍を打っている。何て三ツ谷に問いかければ良いのだろうかと真っすぐと前を見据えた。
みつたい