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TEMPORARY

一時的な置き場

理想狂とカタストロフィ7

 その日三ツ谷は途轍もない程の高揚感に包まれていた。朝起きれば、途切れそうだった繋がりを繋ぎ留めたかった人が隣にいる。その喜びと帰宅すれば存在しているという期待と嬉しさは、午前中に外を回った後でも未だ胸の中で色めき立っている。許されるなら速やかに帰りたい。帰って友人のように他愛ないことを話して笑い、恋人のように愛を語り、慈しみたい。同じ布団で体温を分かち合いたい。だが今日は幹部会がある。準備された資料の最終チェックをして、顔を上げる。切り取られた景色はどこか気が重そうな色をしている。三ツ谷は憂鬱さに息を吐く。大体最近の幹部会だって話していることは決まっている。万次郎が不在の、万次郎の代理人と自称する男たちが万次郎の望んでいない方向へ東京卍會を持って行く会議だ。確かに所謂女を売るだとか薬を捌くだとかそういった犯罪行為は確かに普通にするよりも楽に金を稼ぐことが出来た。九井が役員である表向きのIT企業だって、実際は何をしているか解ったものではない。しかし金を稼ぐことがこの世界では重要なことだ。所謂仁や義など何の腹の足しにもならない。
 そこまで考えかけて三ツ谷は思考を停止させる。意味のないことだ。無為に時間ばかりが過ぎていく。気分転換にコーヒーでも飲むか、と部屋を出た。
 自動販売機のボタンを押し、ブラックコーヒーがごとんと重い音をして落ちる。三ツ谷はそれを拾い、プルタブを開けた。コーヒー特有の香ばしい匂いだ。自動販売機の広告にアロマの香りとあったので、すん、と匂いを嗅いでみた。やっぱりよくわかんねぇなと首をひねる。口に含むと強い苦みがぐう、と胃袋を圧す。眠気覚ましには丁度良いかもしれない。

「タカちゃん!」

 悲痛さの滲んだ悲鳴だった。三ツ谷は顔を上げる。焦燥感を隠さずに、八戒が転びそうになりながらもこちらへ駆けている。

「どうした、八戒?」

 三ツ谷は笑いかけた。八戒の部下が何か仕事のへまでもしたのだろうか、とぼんやりと思いながら脳の内側で対処法を何通りか用意しておく。八戒は辺りを伺うように見回した後、二人で少し話をしたいと静かな声で告げる。青い目が強張っているくせに何か突き通そうとしている。子供じみた遊びのような我儘ではなさそうだ。仕事の話じゃないと三ツ谷は察する。すぐに八戒が話したい内容も何となくではあるが理解した。どこから漏れたのかと思いながらじっ、と海色をした目を見詰め返す。金で買った部下が裏切るのは想定内だ。だが、大寿に対して思い入れが特になさそうな乾や九井が八戒に告げたとすれば少し奇妙に思える。わざわざそうする必要性が見出せない。八戒の無視をする訳にも行かず、二人は取り敢えずと空いていた会議室に入った。

「……話が違うじゃんか」

 部屋の扉を閉めた直後、八戒が呟いた。部下が聞けば笑ってしまいそうなほどに八戒の声が子供みたいに震えていた。八戒は落ち着きなさそうに自身の手を握ったり離したりしている。八戒の口調は何処か少し責めるような言い方ではあったが、三ツ谷は黙って弟分の言い分を聞くことにする。

「兄貴はカタギだから、手を出さないでって……」

 以前も言われた言葉だ。初めてそう言われたときのことも三ツ谷は鮮やかに思い出すことができる。度々兄を心配するような素振りだって、三ツ谷はずっと前から知っている。三ツ谷はその度に沈黙を貫いた。大寿と定期的に会っていることを知らせるつもりはないし、大寿が八戒や柚葉のことをどれだけ愛情深く思っているかも言うつもりはない。

「兄貴だけはって、思ってたのに、」

 どうして、と戦慄いた唇が、一文字に結ばれる。海色の目が揺れ、上目に三ツ谷を見上げる。悲しみに縁取られてはいるが、輪郭をぼやかすことはしない。三ツ谷は首を傾げた。大事なモン程手元に置いときたいだろ、と三ツ谷は端的に回答する。八戒が顔をくしゃりとさせた。怪我をしたときの子供の顔を思い出す。

「……やめてよ……」

 漸く八戒が絞り出した言葉は、いつか聞いた悲しみよりもずっと深い絶望感で縁取られていた。三ツ谷は八戒の顔を覗き込む。今にも泣き出しそうな子供の顔だ。三ツ谷は人好きのする笑顔を浮かべさせる。

「大寿くんがオレを選んでくれたんだぜ」

 青い目が見開かれ、揺れる。瞼が降ろされ、少ししてゆっくりと開かれた。海色は確信を持って真っ直ぐと三ツ谷の藤色を射抜く。

「うそだ」

 そういって唇をきゅっと結ぶ。昔だったら、信じたくないと言わんばかりの顔で目に涙を浮かべていただろうに。強くなったなぁと三ツ谷は弟分の成長に感嘆した。嘘じゃねぇよと三ツ谷は笑いながら返す。嘘は言ってない。選択肢は確かに複数提示した。ただ、八戒や柚葉が思っているよりも遥かに大寿は自分の命より妹と弟を大切に考えており、二人の幸せを願っている。そんな大寿にとって、三ツ谷が最も望む良い形を選ばざるを得なかった。それだけの話だ。それでも選択肢の内容がどうであれ、大寿が自分の意思で三ツ谷を選んだという事実は変えられるものでもないし、変えさせるつもりはない。

「で、八戒はどこでその情報を得たんだ?」
「言いたくない」

 八戒の反応に三ツ谷の脳裏に乾と九井の姿が過る。あの二人は大寿に思い入れがないと思っていたがその反対だったかもしれないと三ツ谷は漸く可能性に気付く。会議で大寿を引き入れるかという話が出ていたときにあれは使い物にならないとと言っていたのは、大寿が東京卍會だけでなく反社会的勢力に巻き込まれるのを避けたがっていたのだろう。二人があんなに大寿を大切に思っているとは知らなかったし信じ難い気持ちもある。柴大寿という人間が化け物染みた求心力でもあるのか、乾と九井たちが今でも心を砕くほどに良くされた記憶でもあるのか三ツ谷は解らない。ただ、厄介だなと思えた。恐らく乾や九井は部下から大寿がいるセーフハウスの場所を聞いているのだろう。
 あーあ、と三ツ谷は呟いた。思ったよりもがっかりとしていないのは、今まで我慢を強いられて来た経験が生きているのだろう。別にありがたいとも何にも感じないが、三ツ谷自身が想像していたよりもずっと脳味噌は冷静だ。早く別の場所に連れて行かなきゃと思うが幹部会がある。今更部下に任せてもアイツらや八戒なら聞き出して全部おじゃんにさせるだろう。大寿が何処かに行ってしまうことについては別段何も感じない。けれど誰かがはっきりとした意図で大寿を自身から引き剥がそうとしている事実には鬱陶しいなと素直に思える。八戒が乾と九井たちと手を組むとは考えにくい。しかし柚葉が加われば本当に面倒なことにしかならない。厄介だ。どうしたもんかなと脳内で策を練り上げていく。
 そろそろ幹部会の準備があるからと話はそこで終了させた。セーフハウスは往復するだけでもそれなりの時間が掛かってしまう。幹部会を休む訳にも行かず、指定された中華料理店に向かう。
 真っ赤に塗装された円卓に各々が座り、他愛ない世間話を交わす。少しして全員が揃う。一ヶ月ほど前とほぼほぼ同じだ。料理が運ばれ、中央のにある回転テーブルに乗せられていく。食事をしながらお互い牽制し合ったり密やかなナイフを潜ませた言葉を交わす。古参は金を稼いでいないといういつも通りの話題だ。全く飽きないよなと思いながら三ツ谷はそっと時計を見る。思ったよりも時間は過ぎていない。そーいやァ、と九井が口を開いた。

「古参はカタギにも手ェ出してるらしいなァ?」

 品がねぇなと九井の目が小馬鹿にするようにきゅっと細くなる。突然吐き出された言葉に水を打ったように静かになる。ごくりと誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。どういう話か解らないと言ったような顔のものもいた。八戒が最初に三ツ谷を見る。

「そうでもしなきゃ稼げないのは大変だな」

 乾が吐き気がすると言わんばかりに態とらしく顔を歪めさせる。オマエは心当たりがあるんだろと言わんばかりの顔だ。二人の視線は同じ方向を向いている。二人だけでなく、八戒も同じ人物をじっと見ている。
 その場にいた人――千冬や半間、ナホヤ、武藤……そして林田までもが乾と九井の視線を追い掛ける。ここにいる殆どの人から視線を受けている三ツ谷は遠い世界の出来事みたいに、溶き卵の入った中華スープを口に含ませた。
みつたい